あの町この村に、子どもらの遊ぶ笑顔を求めて ユニット折り紙
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駄菓子屋徒然 (ミニエッセイ集) 目次へ

 遊び学ブログにおいて、テーマ(こどものあそび:その今昔)で「駄菓子屋」について書き綴ったものをまとめて転載したものです。なお、必要に応じて加筆・訂正を施しております。

 とある駄菓子屋さんにて・・・・・/2003年9月27日

 ふと、とある駄菓子屋さんに立ち寄った。トレカ(トレーディングカード)はあったが、ベッタン(メンコ)が見つからなかった。そこで、店屋のおばさんに聞いてみると、売れないから置いていないそうだ。
 トレカはベッタンに取って代わり、駄菓子屋さんからベッタンを消えさせた。そんな駄菓子屋さんも、街にはなかなか見つからない・・・・・


 晴れと褻(ハレとケ)のおもちゃ/2004年1月6日

 1950年代の駄菓子屋さんの風情として、お正月になると普段の品物の他に正月向け商品が店先の目立つ場所にたくさん並ぶということがあった。普段は単価が5円・10円の物やそれ以下の物が圧倒的だが、この時期には50円時には100円以上の物も並ぶのだ。こども達のお年玉をあてにした商品配置なのは確かなことだ。
 そのような正月向け商品が、羽子板・独楽・凧などである。ただ、おもちゃ屋さんのそれと違って各段に求めやすい値段になっている。例えば、羽子板は押し絵のついた豪華な物でなく板に絵を描いた物で、飾るより遊ぶ物として売られている。駄菓子屋さんは、あくまでもこども達の日常の生活(あそび)と密接なつながりがあり、おもちゃ屋さんは特別な時(日)に(おとなと)買いに行くところと言う感が強かった。
 おもちゃ屋さんが「ハレ(晴れ)」のおもちゃを買いに行くところなら、駄菓子屋さんは「ケ(褻)」のおもちゃを買いに行くところとなるのだ。その当時の「ケ(褻)」のおもちゃの代表は、ビー玉・メンコ・おはじきなどで、「ハレ(晴れ)」のおもちゃの代表は野球盤・ミルク飲み人形だ。こども達の「ケ(褻)」(日常・普段)のお店、駄菓子屋さんが街の景色から消えつつある一方で、繁華街で懐かしの駄菓子を売る店が流行る。これは、ある意味では駄菓子屋さんが「ハレ(晴れ)」に変化しつつあることなのか・・・・・


 一斗(いっと)缶と駄菓子屋/2004年5月18日

 現在のブリキ製の正式名「18リットル缶」は、その昔「一斗缶」と呼ばれていた。その一斗缶には、駄菓子屋さんにまつわる懐かしい思い出がある。昔の駄菓子屋さんは、一定量のお菓子が袋や箱などに包装されて販売されている現在のお店とは違って、包装無しの量り売りがほとんどだった。
 例えば「すずめのたまご」と呼んでいたピーナッツ入りの菓子も当時2個1円で売っていた。店先の商品が無くなると奥に置いてある一斗缶から出して販売していた。また、「水飴(練り飴)」を一斗缶から割り箸で巻き取って売ってくれたりもした。水飴の巻き取り具合は、店屋のおばちゃんの加減によって多い少ないがある。多く付いていた時はちょっとした幸せな気分になったものだ。
 ところで、この一斗缶は各家庭でもいろんな入れ物として利用した。かき餅や煎餅などは常連さんで、たまには近所に回ってきた「ポン菓子屋」さんで作ってもらった「ポン菓子」を入れたりもした。もちろん、こども達には特製のビー玉・メンコ入りにもなったのは言うまでもない。


 駄菓子屋さんの代替としての100円ショップ/2004年7月12日

 こども達が日常生活の中でお小遣いを持って買い物に行く所は、時代と共に変遷する。昔は駄菓子屋さんだったが、それがスーパーマーケット・コンビニエンスストアへと移り。最近では、新たにいわゆる100円ショップが仲間入りした。
 家の近くに、その100円ショップの最大手の店が開店してからは、私もしばしば足を向けるようになった。そこは、普通のコンビニ程度の広さで、100円ショップとしては小さな規模の店だと思うが、おもちゃコーナーもそれなりのスペースを占めている。
 その品揃えには、仕事がら関心があって、行った時は丹念に見るようにしている。面白いと思ったのは、ビー玉・おはじき・お手玉・コマ・けん玉・万華鏡などの昔ながらのおもちゃが結構種類を揃えて置いてあるのだ。
 おそらくそれらのあそび方は知らないと思われるので、こども達が実際にそれらを買い求めるかは、はなはだ疑問に思う。親ひょっとして祖父母のみなさんが子や孫に買い与えるのだろうと思っている。
 ともあれ、100円ショップには結構こども達が訪れてきている。街の小さな文房具屋さんが減り、その代わりかも知れないが、文房具コーナーにもこども達の姿をよく見かける。なにせ、値段が魅力なのはおとなもこどもも同じだ。
 そして、100円ショップは季節に応じて、販売商品をこまめに変えているのには、昔も今も商売の世界では極当たり前のことだろうが、廉価販売でそれをやるとは驚くかぎりだ。
 当然、おもちゃをはじめとする、こども向け商品も例に違わず季節に合わせた陳列になっている。最近では、花火、スイミング用ゴーグル、そして捕虫網(昆虫捕り用の網)が目立っていた。
 この捕虫網、値段の割りには立派な物で、むかし私達が愛用した竹の柄に粗い網目のものなどより、だんぜん出来の良い物で、使い勝手が良いかどうか分からないが、うらやましい限りだ。
 この様に、100円ショップは昔の駄菓子屋さんと機能的に全く同じとはいかないまでも、うまく活用すれば割とリーズナブルにあそびに生かすことが出来る。お菓子なども置いている100円ショップは、ある意味で駄菓子屋さんの代替ともいえる。
 金を出す額に応じて、いくらでも楽しいあそび?が出来そうな時代にあって、その低価格性は品数を買いすぎないように注意すれば、こどものあそびに於いても、100円ショップはユニークな存在となるだろう。


 ニュース「姿消す日暮里の駄菓子屋横町」に思う/2004年8月29日

 昨日のネット配信ニュースによると、東京都荒川区のJR日暮里駅近くにある菓子問屋街、通称「駄菓子屋横町」がこの夏限りで再開発事業により取り壊されるそうだ。
 私も、10年ほど前、東京へ訪れた際メンコを買い求めに一度行ったことがあるが、その当時でさえ10軒に満たない状況だった。それが、一部はビルの中に残るとは言え寂しい限りだ。
 駄菓子屋さんは、日本のこども文化の歴史を語る上で欠かせない存在だ。その駄菓子屋さんの仕入れ先の問屋街として、西の松屋町、東の日暮里は著明で、駄菓子屋さん文化の隆盛を支えていた。
 その西の勇、大阪の松屋町も一頃に比べて、グンと駄菓子問屋さんの数が減ってきている。もちろん、そうした背景には、今のこども達が駄菓子屋さんを利用する頻度が減ったからだろう。
 それに伴い、街の中から身近な駄菓子屋さんが減り、その仕入れ先の問屋が減り、そこへ駄菓子・小物オモチャを卸していた製造業者が減っていく。何れはこのようにして、駄菓子・小物オモチャが影を潜めていくのだろうか。
 それは、決して駄菓子屋・小物オモチャの魅力が無くなったからではないと思う。僅かに残った駄菓子屋さんには、駄菓子を求めてこども達は今なお通っている。まさに、単価が安いという駄菓子特有の魅力があるからだろう。
 しかし、駄菓子はそれなりに売れても、小物オモチャは売れなくなってきているようだ。ベッタン(メンコ)が店頭から消えた駄菓子屋さんも多い。ロー石も無いところも結構ある。
 その原因は、小物オモチャが面白くないからではないと思っている。何故なら、あそび方を教えてあげれば、こども達は楽しく夢中で遊ぶことは、私の学童保育所での経験でも実証済みだ。
 駄菓子屋さん衰退の原因は、小物オモチャを使ってのあそびを伝えていくような、こども達のあり方ではなくなってきているのが原因だろう。さらに、駄菓子屋さん文化を育む様な街の姿では無くなってきているのも一因だろう。

(ミニエッセイ集は、「遊び学ブログ」の記事を加筆・修正したものです。)

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