あの町この村に、子どもらの遊ぶ笑顔を求めて ユニット折り紙
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こどもの学習 (ミニエッセイ集) 目次へ

 「知育遊び」??に踊らされないように!/2003年11月10日

 「知育遊び」「知育折り紙」と称する「(こどもの)遊び」を耳にする。こうした表現が使われる様になったのは、こども達の生活の主舞台が「遊び」から「勉強」へシフトした時期と重なる。そうして、ついに「あそび」にまで「勉強(学習)」が浸潤したのだ。この知育というのは、知を育む(育てる)事を意味する。その点で言えば、そもそもこどもにとって「あそび」は直接あるいは間接に、知を育むものだとの多くの指摘がある。
 ここで注意しなければならないのは、「知育遊び」であろうが、普通?の「あそび」であろうが、それが強制されたものなら、もはや遊びではなく一種の課業(強制作業)ともなるのだ。また、仮に「あそび」だと仮定しても、長続きはしないのがオチだ。こどもに「知育あそび」を導入する場合は、無理がこないようにすべきだ。また、もし嫌になれば、それは単なる「あそび」と考えてて中断するのが良いと思う。せっかく高価な教材?(あそび道具のはずだが)を買ったのにと、ゴリ押すのはかえって知育?を阻害する可能性さえある。要するに「知育あそび」に踊らされない事が大切だ。


 好きこそ「知育」の上手(じょうず)なれ!/2003年11月11日

CUT-勉強1  「知育あそび」で踊らされずに、「知育」を可能にするにはどうすれば良いか考えてみた。「知育あそび」に限らず、「あそび」の色々な効果を可能ならしめるのは、当たり前の事だが遊ぶという過程なのだから、どうしたらその「あそび」をしてくれるかを考えればよい。「あそび」は、それがやりたい(好きだ)から遊ぶのだから、その「あそび」が好きになればいいのだ。そのいい例が、一旦のめり込んでしまったテレビゲームは、何度止めてもやり続けるこども達が多い事実だ。また、別の言い方をすれば昨日書いた事とダブルが、その「あそび」や「玩具(おもちゃ)」を与えはしても、決して押しつけない事だ。テレビゲームを買い与えはしても、無理矢理押しつける親はほとんどいない。けれども、手に負えないぐらい、こども達はそれをやめてくれない。
 要するに、「あそび」や「玩具」に魅力があれば(当然好きにもなる。)、押しつけなくても遊んでくれるのだ。遊んでくれれば、「知育あそび」に限らず自ずと効果が出てくるものだ。そして、決して効果が上がらないと言っても、ムキになってとやかく言うのも厳禁だ。当人より周りがムキになればなるほど、逆効果なのは自分のこどもの頃を思い出せば解ると思う。最後に、興味が無くなった時はアッサリやめよう。一度始めたら最後までやるのが肝心だというのは誤りだ。何度でも強調するが、これは「あそび」なのだ。やりすぎのテレビゲームをきっぱり途中でやめた子は叱られないのだ。


 好きこそ「読書」の上手(じょうず)なれ!/2003年11月12日

 「知育あそび」での、法則を本に応用することにする。つまり、「こども達を本好きになってもらうにはどうしたらよいか」に適用する。こどもを本を好きにする条件のひとつは、親(先生・指導者)が本好きである事だ。自分が好きでないものを他者に好きになってもらうのは難しい。好きでなっかた場合と次の手立ては、親がこども達が傍にいる様な時、出来るだけ楽しそうに本を読むぐらいは試みよう。(実際に、本を読んで感動すればなお良い。感動する本はたくさんあるはず。)
 次の手立ては、「読み聞かせ」という方法だ。こども達の年齢に応じた本(絵本)を小さいお子さんで一人なら膝の上にのせて、読み聞かせるのだ。もちろん、読み聞かせる本は、自分が感動した本ならさらにベストだ。(感動するのは、悲しいものだけでなく、ワクワクした・楽しかった・愉快だったなど、たくさんある。)
 最後に肝心なのが、読書は楽しいものだと言う点を終始一貫させる事だ。途中で欲を出して、漢字を覚えさせようとか、感想文を書かせようなどとは、決して思わない事である。誰しも漢字を覚えるためや感想文を書くために読書するのではない。
注:「読書」をテーマ「こどものあそび:その今昔(いまむかし)」に入れているのは、大きな意味で「読書」が「遊び」に分類できると考えた。(学校での「本読み」とは区別する。)


 よく寝たほうがひらめく!(科学的に解明される。)/2004年1月24日

 今日もネットニュースから題材を採った。「創造的能力が睡眠で促進されるのが明らかになった」そうだ。要するに、事前に学習していたことが睡眠をとることによって、よくひらめくようになるそうだ。
 同じような自分なりの持論持っていたが、それが実験的に確かめられて意を強くした。センター試験はもう終わったが、これから時期的に入学試験のシーズンとなる。そこで、私なりのささやかな試験勉強の経験談を書いていく。
 まずは、最初に書いたように、当日に頭がスムーズに働けるように、試験の前日は十分に寝ることだ。「思い出せなければ覚えたことが無駄になる。」を一番のモットーにしてきた。中学校時代以降現在までのすべての試験にそれを貫いてきた。
 次に、「一夜づけ」と言うより「一昼づけ」に近い事前勉強方法をとった。入学試験を除き、早くても2・3日程度前までは、試験勉強をしなかった。(前日は、早く寝るため、夕方まで。)要するに、弱点や出題予想(独自の)を重点に短期集中型の試験勉強をしたのだ。
 この二つを必ず守ってきたが、かなりの試験で上手くいった。ただ一度大学入試に失敗し一浪の経験がある。これは、日本史の事前勉強をほとんどしなかったからだ。翌年は、それに重点を置いてやった。
 これらの方法は、たまたま成功したとも言えるが、もう一つ秘訣があった。それは、授業中はかなり集中して聞いて(勉強して)いたからだと思っている。それは、試験の最中に、「あの時間の黒板のあの位置に書いていた事」のように思い出すことが多かった事でも分かる。
 以上が、私なりの変わった試験勉強方法だが、全部が一般化できないにしても、ある程度は参考にしていただけると思う。ほんの僅かでもお役に立つようであれば幸いだ。


 私流記憶術:受験シーズンによせて/2004年1月26日

 受験シーズンにあたり、公式や英単語などを覚えなければならないことが多くなる時期です。そこで、ささやかな体験談を書いていく。
 まず、記憶すると言うことの基礎知識として、記憶とは脳の中の神経細胞(ニューロン)同士の連絡回路(シナプス)をどれだけ多く且つ太くするかが決め手であることを押さえておくことが大切だ。
 そうするためには、繰り返し繰り返し覚える反復刺激(記憶)が有効で、さらに他の物事と関連づけて覚える関連記憶が思い出しやすいと言われている。これらの点をふまえて書き進める。
 まず、覚えていくための参考書は、できる限り一科目に一冊とする。できれば教科書だけがよい。どの本のどの位置に書いてあるかが、思い出す時のヒント(ある意味での関連記憶)になるので、毎度おなじみの本ならそれがやり易い。
 次に、覚える時のやり方だが、見て、声を出しながら読んで、書いて覚える。要するに、目と口と耳と手で覚える。これは、手の運動記憶との関連記憶とも考えられるし、少なくとも目・口・耳・手で一度に4回繰り返すとも考えられる。これをある程度繰り返せばよい。
 次に、間違った記憶を消し去ることは難しいが、その間違いの記憶回路は細くすることが可能だ。要するに、間違った記憶は繰り返さないことだ。そして、その方法は間違ったところを、必ず正確な解法や答えを、本で見て声を出しながら読んで書いての作業をとことん繰り返すことだ。
 この点を、簡単な「九九」の例で示す。仮に「7X6」が「43」とよく間違えるとすると、7の段の九九を空(暗算)で繰り返すより、教科書を見ながら「しちろくしじゅうに」といいながら「7X6=42」と書いて覚えるのだ。
 次に、問題集や練習プリントなどの活用の仕方についてだが、それらはあくまでも到達点や間違いやすいところを知るためだけに使用する。間違いを正すには、慣れた参考書や教科書で先に書いたように(反復記憶)するのがベストだと思う。念を押すが、間違いは正しい方法をやる(記憶する)ことでしか正せないのだ。
 以上が私流記憶術だが、それなりに脳科学で解明された事実に合致していると思っている。しかし、人それぞれには個性があり、この方法が必ずしも通用しないかも知れないが、自分なりにアレンジして生かしていただければありがたい限りだ。

(ミニエッセイ集は、「遊び学ブログ」の記事を加筆・修正したものです。)

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