遊邑公園論
(ミニエッセイ集)
遊び学ブログにおいて、「公園」や「公園の遊具」などについての思いつきなどを書き綴ったものをまとめて転載したものです。なお、必要に応じて加筆・修正を施しております。
まだあった「箱形ブランコ」/2003年09月29日
全国的に撤去が進んでいる、「箱形ブランコ」がまだ区内の公園に残っていた。最近も沖縄県での痛ましい事故が報道されていた。
自治体管理の公園のものは撤去が進んでいるが、地域管理などの民間施設のものは、以外と残っているものだ。これも本来は自治体の責任でやるべきなのだが・・・・・
ともかく未撤去のものは、座部と地面の間隔が狭すぎないかぐらいの安全点検は、すぐにでもするべきだ。
(同じ公園に、2004年4月に起きた連続指切断事故と同じ回転遊具がありましたが、その事故以後この箱形ブランコと共に撤去されました。)
『公園が危険!』(ニュースより)、お近くの公園は大丈夫?/2003年11月09日
公園の遊具の事は、前(2003-09-29付日記)にも書いたが、今日公園の遊具に関するニュースが報じられていた。
「全国地域活動連絡協議会」(本部・東京、通称・みらい子育てネット)の安全点検調査によると、『全国の公園のうち75%に、遊具の一部が腐るなど子供の事故につながりかねない「不具合」がある』(『』内は引用)と言う事だ。
この様な調査は、本来自治体などの公的機関がやるべきと言うより、自治体は不具合がない様に適時点検・整備すべきなのだ。
自治体が点検・整備を怠っていたから、この様な事になったのだ。おそらく、遊具に整備不良がみられた公園の中には、法律で決められた「都市公園」も含まれるだろう。情けない事だ。
こども達の安全のため、当分は市民が自主点検をしましょう!
その昔、紙芝居がやって来た:公園回想/2004年03月06日
こども達の集う遊び場である身近な公園に、紙芝居屋のおじさんがやってこなくなってもう久しい。その昔、そんな紙芝居屋さんで人気のあったもの(紙芝居そのもの以外)を幾つか紹介しよう。
まずは、「練り飴(ねりあめ)」だ。「水飴(みずあめ)」とも言うが正確ではない。それは、「練り飴」の原料は「水飴」だが、それを割り箸一膳分(2本)に巻き付け、それを「練る」から「練り飴」なのだ。
「練り飴」は練っていくとどんどん白くなっていく。その白さを競い合ったのだ。その白さを紙芝居屋さんが最高に白く練った者を判定して賞品をくれたりもした。
練り方のコツは、沢山の空気が飴と混じり合うように、箸と箸をなるべく離して練ることだ。途中で、間違っても決して飴をなめてはいけない。唾液の酵素が飴の粘性を弱くしてしまい練ることができにくくなるからだ。
同様に、ヨーグルトもどきのお菓子の入った蛤の貝の割り合いもあった。お菓子を食べた後、入れ物の貝をぶっつけ合って相手の貝を割るのだ。これも勝ち抜き戦の優勝者に賞品があった。さらに、型抜き飴もあったし、賞品付なぞなぞもあった。
この様に、こども達にとって紙芝居はただ紙芝居を見るだけでなかった。おやつとしてお菓子を食べたり、楽しい競い合いの場でもあったのだ。
その昔、ポン菓子屋さんもやって来た:公園回想/2004年03月07日
昔から公園には子ども達がよく集まるが、それを目当てにやってくる商売には、紙芝居屋さんだけでなくいろんなものがやって来た。竹馬屋さんもそうだが、ちょっと変わったものがあった。
それは「ポン菓子屋さん」だ。なにせ、ポン菓子の名前通りに、出来上がる時に「ポン」と言うより「ドカン」というものすごい音がするのだ。こども達は、恐る恐るだがそれでいて期待しながらその音をじっと待つのだ。
この「ポン菓子屋さん」、完成品を売るだけでなく各自持参した米と砂糖でポン菓子を作ってくれるのだ。もちろん有料だが、買うよりは割安だったし、できたてほやほやのものが食べられる良さもあった。
ポン菓子はポップコーンと同じで、中に含んでいる水分が水蒸気となって急激に膨張するからふくらむのだ。その、お米を入れた容器の中の圧力が一気に下がる瞬間、あの「ドカン」という大きな音がするのだ。昔は、「ポン菓子屋さん」の来る頻度が比較的多かったので、そうでもなかったが、テロが現実味を帯びる今の世では「ドカン」と鳴れば大騒ぎになるかも知れない。
その昔、日曜学校もあった:公園回想/2004年03月08日
公園と言うところは、こども目当ての商売ばかりがやった来たわけではなかった。ひょっとすれば今でも見られるかも知れないが、日曜学校というものが開かれていた。
学校と言っても、こども達に勉強を教えるわけではなく、キリスト教の布教のひとつの方法だった。人形劇や紙芝居そして賛美歌が主なプログラムだった。
この日曜学校には、月謝が要らなかったからではないにしろ、結構こども達が集まっていた。紙芝居屋さんは、おっちゃん(おじさん)が多かったが日曜学校の先生?は若い青年の方々だったので、年齢の近いお兄ちゃんお姉ちゃんなので親しみやすかった。
また、こども達がこの日曜学校へ通って?いても、親たちはあまり頓着しなかったのも、こどもが集まった理由のひとつだろう。仏様と神様を同時に進行できる日本ならではのことだ。
ともかく、その当時は覚えた賛美歌も少なくはなかった。歌詞は忘れてしまったが、メロディーは覚えている曲が幾つかある。宗教をひろめるためには、洗練された旋律が必要なのだろう。
この様に、これまで書いた紙芝居屋さん・ポン菓子屋さんなども含め、昔はいろんなものが公園にやってきた。しかし今は、公園での催しや商売が規制されているためもあってか、それらが訪れることがめっきり減ってしまったことは、こどもたちにとっては惜しいことだと思う。
公園遊具での指切断事故に思う。/2004年04月05日
ニュースによると、公園にある回転式遊具で小学生2人が相次いで指を切断した事故があった。その遊具の管理は、「こどもを大切にする」を公約のひとつにして2期目を迎えた知事がいる自治体の住宅供給公社なのは皮肉なことだ。
少し前の児童虐待死事件での児童相談所の対応の遅れと言い今回の事故と言い、自治体の日常的な対応やケアの問題が立て続けに浮き彫りになった。
児童相談所や公園が整備され、箱物的にはこども達にとって良くはなったかも知れないが、日常的に子ども達の安全や健康が守られるようには必ずしもなっていない事が明らかになったと言えよう。
また、こういう事件が起きたときにいつものように持ち出されるのが、「マニュアルが無かった。」と言うことだ。2ヶ月もボルトがゆるんでいることを放置されていたのは、マニュアルが無かったからではない。こどもを大切にしようとする「心」が、行政や管理者に不足していたからだ。
児童虐待死事件もそうだ。児童相談所がありながら、「施策や施設があって魂入れず。」と言う状況だ。行政に最低限の「魂」が入るまでは自衛的に、身近なおとなが注意を注ぐことがこども達へのせめてもの責任なのだろう。
区内にもあった、あの回転遊具/2004年04月07日
今、全国的に点検や使用休止相次いでいる指切断事故の起きた回転遊具が以前区内の公園調査した時に、区内にもあったことを思い出し気になったので、昨日様子を見に行った。
偶然にも、回転遊具の製造会社(この会社も区内にある。)が点検に来ていたところに遭遇した。さらにその様子をNHKTVが取材をし、何故だか分からないが警察官までも来ていた。
あとでTVのニュースで見ると、ここの遊具もボルトが摩耗しており、当面使用禁止の処置がとられたようだ。ともかく事故が起きる前に整備不良が見つかって良かった。
ところで、この遊具のあった公園は大阪市の公園ではない。大阪市の定義では児童遊園にあたり、地域住民組織の管理になっている。以下にその概要を大阪市のHPから引用する。
児童遊園、ちびっこ広場
・ 児童遊園、ちびっこ広場は、公園がない地域の補完的施設
・ 地域住民の組織する運営委員会を設立
・ 運営委員会が遊具などを整備し、管理運営する
・ 遊具の新設、補修などに整備費の補助
・ 運営委員会に対する助成(年額4万円)《引用終わり》
私なりに解釈すると、本来都市公園は自治体が整備すべきものだが、まだ箇所数が少なく住民の力に頼らざるを得ない。その代わりに幾ばくかの補助をして公園を整備しようと言うことだ。
しかも、少ない額の補助金で維持・管理まで住民に頼ろうと言うことだ。これでは、住民には公園・遊具の管理の専門家が居ないのにもかかわらず、それをまかされることになり、遊具点検の不備が起こりかねない。
そう言う事情があって、おそらく今回のボルト摩耗の放置と言う事態ももたらされたのだろう。もちろん、この責任は大阪市が負うべきだと思う。
さらに、前にも書いたが、全国的に撤去が進むいわゆる箱形ブランコに相当する遊具のあるのも、ここの公園だ。大阪市はここの箱形ブランコは安全と認識して設置し続けておられるのだろうが、この様に遊具での事故・点検不備が続くと不安になる。
全国的に相次ぐ遊具の撤去に思う/2004年04月08日
回転遊具事故以後、全国的に不良・欠陥遊具の撤去が相次いでいる。それによって事故が未然に防げることは良いことと思うが、少し待てよと思うことがある。
それは、それらの遊具が今回の事故が起きるまで、不良箇所がありながら放置されていたことを意味していると言うことだ。こどものおられる方には、背筋が寒くなる話だ。
日常的には十分なメンテナンスをせず放置しておいて、いきなり撤去、日頃の手抜き対応を棚上げにしての右へならえの事なかれ的な撤去。余りにも、こどもをないがしろにする対応だ。
撤去された遊具で楽しい一時(ひととき)を過ごしたこどもも多い。撤去しなくても、日頃から十分な点検と整備・補修をしておけばもっと多くのこども達を楽しませたと思うと残念だ。
さらに、撤去された遊具の撤去理由・原因の多くは、設置されたときから予想されたことだ。構造上に欠陥があったというなら、はじめから設置しなければよい。
例えば、ボルトは摩耗し抜けやすくなるのは設置する前から予想できる。だからこそ、定期的に点検しボルトを交換していれば事故も起きず撤去もされずに、もっとこども達を楽しませることが出来たはずだ。
だから、行き過ぎた遊具の撤去はやめていただきたい。構造上問題のある物を除き、安全に機能が果たせるよう整備・補修して残していただきたい。愛着のある遊具もきっと多いと思うからだ。
豪華複合遊具に思う:遊具考/2004年08月28日
最近、街中(まちなか)の公園によく見かけるようになったのが、複合遊具と呼んでいる遊具だ。すべり台・ブランコ・うんていなどが組み合わされてひとつになった大きな遊具を指す。
今回の家族旅行で訪れた、世界自然遺産の地、白神山地の見学コース起点のセンター敷地内にも、その豪華版とも言える大きな物があった。自然遺産とは、ある意味ではかけ離れた代物だ。
植物が主役のブナ林の散策は、小さなこども向きではないので仕方ない事かも知れないが、遊具を設置するならもっと自然遺産とイメージ的にあった物を設置して欲しい。
そこの複合遊具は豪華で大きい物だったので、設置費用もかなりの物と思えるが、同じ費用をかけるのなら全部オーダーメードの遊具にする選択肢を選んでいただけなかったのが残念だ。
こうした傾向は、どの公園の複合遊具にも見られる。もちろん、最近の物は部品の組み合わせの違いによる変化も見られるが、部品その物が変わらないので思ったほどの違いがない。
大阪市の公園も、新設公園や改装公園には地元住民(主に町内会役員)の意見を聞く仕組みもあるそうだが。それさえ、ある方式一覧や遊具カタログから選んだように思われる程度のものだ。
また、複合遊具の持っている機能と個々の遊具の機能がダブっている場合も多い。ブランコ・すべり台的機能を持った複合遊具があるのに個別単独のブランコ・すべり台があったりする。
公園が広ければいいが、以外と狭い公園でもこうした傾向が見られる。狭い公園が遊具でかなりの面積を占めるところもある。複合遊具の設置は、場所をとることも考慮する必要がある。
価格の高い複合遊具の設置には、その土地柄に合うように地元の利用者(特に、こども)の意見をふまえた上で設置を進めていただきたいと思っている。
児童館の「公園デビュー」:ネットニュースより/2004年08月30日
ネットニュースで「地域の公園に遊びを『出前』 仙台・八木山児童館」の見出しが目に入った。以下に要約を記す。
「日頃受け身的な児童館が、公園に出向いて地域にとけ込もうと企画され、昼前の1時間程度「かごめかごめ」などのうたあそびや絵本の読み聞かせなど訪れた親子を対象に行っている。(筆者要約)」
この実施時間帯考慮すると、対象のこどもは就学前の幼児が中心かと思われるが、児童館の企画としては特筆すべきものだと思う。おそらく、児童館の利用者はその近所のこども達がほとんどで、その存在さえ知らないこども達・住民の方も多いと想像する。
大阪市では、全国的に見ても児童館が極端に少なく、我が人口16万人を越える住吉区には、正式な児童館が無く。勤労青少年ホームが活用されている。さらに、どうしたことがそこで行われているか、多くの住民は知らないと言う状況があると思われる。
また、イメージとして大阪市などの児童館は、堅苦しくて入りにくい感じを持っているのは、私だけではないだろう。少なくとも、公園のように気軽に訪れる所では無さそうに思う。
仙台の児童館は、この様に極端に地域とのつながりの薄いものではないと思うが、それなりに事情がよく似ているからなのだろう。だから、地域にとけ込む事をわざわざ企画しなければならないのだと思う。
その点をしっかりと自覚されたと思われる、今回の「遊びの出前」は歓迎したい。ただ、対象児童が概ね母親に連れられた幼児になっている点が残念だ。
ある意味ではもっと潜在的な期待・要望・要求があると思われる小学生以上のこども達をも視野に入れた児童館・学童保育所などによる、「あそびの出前」の登場を願うものだ。
公園で見かけた、中学生の混じった異年齢の集団遊び/2004年10月26日
つい先日、区内に新しく出来た都市公園を簡単な公園調査に訪れたところ、最近では珍しくなった光景に出会った。それは、中学生から小学生までが一緒になって集団であそんでいたのだ。
昔は、わりと普通に見られた、中学生を含めた異年齢の集団あそびが、このところめっきりと減ってきていた。この様な光景に出くわすと、懐かしくもあり、何処か嬉しささえ湧き起こった一時(ひととき)だった。
ところで、このこども達があそんでいたのは、大阪市内南部で「ロックン」と呼ばれるあそびだ。軟式テニスボールなどの柔らかなボールを使ってやるあそびで、チームでの対戦となる。
昔のよく似たあそびには、「ハサミ野球」があるが、それよりはもっとエキサイティングで面白いあそびだ。二つのベース(塁)間をアウトにならずに往復するルールは「ハサミ野球」と変わらない。
しかし、守備側はタッチだけでなくボールを投げて直接あててもアウトに出来る。もちろん、二つのベースをまもるのは、それぞれ一人づつでなくても何人でも守って良い。
攻撃側は、ベース間を誰か一人が6往復(6クン)すれば勝ちとなる。なお、攻撃側は、チーム全員が一度にベース間を動き回っても良い。
しかも、守備側があてようとして投げたボールを攻撃側が受けても良く、その場合そのボールを攻撃側が誰もいない方向へ投げても良い。その間には、楽々ベース間を往復できる。
「ロックン」のあそび方はざっと以上の通りだが、おわかりの通り各チームそれなりに人数が揃っている方があそんで面白い。その人数は大体各チーム数名程度は欲しいものだ。
だから、公園で見たこども達も人数を確保するために、中学生が誘ったのだと思われるが、ともかく今や珍しい光景が起こり得たのだ。そうしたことが出来る地域的な条件があったのだろうか、興味がそそられる。
今時公園考:ニーズによる空間的分離/その1/2005年03月28日
春休みに入り季候も良くなったこともあってか、近くの公園にも、あそぶこども達の姿が多く見られる様になった。今のこども達では当たり前の事かも知れないが、そのこどもの数に近い自転車が止められていた。
ひょっとしたら、友達の家同士がそれぞれ離れているのか、近くに手頃な公園がないのかも知れないが、おそらく距離の問題ではなく、どこへ行くのも自転車という生活スタイルになっているのだろう。
ところで、我が住吉区内の主だった公園をざっと一回り調査した事があった。その時の報告にも書いたが、最近の公園には、球技やボールあそび禁止の掲示のあるところが多いのだ。
そして、このところ増えてきたのが、「ゴルフ禁止」の文言だ。こうした掲示をしなければならないほど、公園でゴルフをする方が増えてきているのだろう。
さて、ゴルフはともかく「ボールあそび」禁止の掲示には、都市に於ける公園のあり方に、一つの示唆を与えてくれていると思っている。
それは、以前にも書いたかも知れないが、公園には様々な人が訪れる。幼児や高齢者の方も当然訪れるし、あそび盛りの活発なこども達も訪れる。
今時公園考:ニーズによる空間的分離/その2/2005年03月29日
しかし、公園の多くはそうした訪れる人の公園に求めるもの(ニーズ)、に応じた設計になっていない。お年寄りは静かな憩いを求め、こども達はあそびまわれるスペースを求めて公園に来るだろう。
当然、ニーズのあり方の違いによって、空間的に分離するのが当然で、また自然な事だろう。憩う場とあそぶ場は同一スペース内に有る事が無理な事なのだ。
例えば、庭球野球やドッヂボールなどのあそびができるオープンスペースには、ご高齢の方が座りそうなベンチや椅子などは設置してはならないのだ。
反対に、憩いのための四阿(あずまや)や幼児があそぶ砂場の傍に、活発なこども達が思わずあそびかねないオープンスペースは必要ないのだ。
しかし、残念ながら、こうしたニーズによる分離設計がなされている公園が少なく、また分けるほど大きな公園が少ないのが実情なのだ。
だから、公園設計や公園設置計画のまずさを「球技等禁止」の掲示で取り繕わなくてはならないのだと思う。今、大阪市では、地域の要望を聞いて公園整備を進めていると聞く。その際、こうした観点をその計画に取り入れていただきたいものだ。
遊具での指切断事故からの疑問/2005年09月24日
先日、大阪市内の小学校で、登り棒での児童の指切断事故が起こった。大阪府内では、この2・3年の間に回転遊具やブランコでの似かよった事故が起きているが、ここで疑問が起きてくる。
これらの事故の後、大阪市を含む多くの自治体で、該当遊具や同等遊具を一時的に使用禁止にして総点検を行い、安全が確認されてから使用再開する処置がとられた。
今回の事故もそう言った処置がとられるようだが、同じ大阪市で起こった前回のブランコ事故の時、学校に於いて遊具の点検がなされたのか。もしなされていたなら、登り棒などブランコと違った他の遊具は点検されたのか。
この疑問が起こるのは、ニュース映像に、こどもの指が挟まるような構造が、該当遊具に見受けられたからだ。ブランコ事故の例を検証して、遊具に指が挟まるような個所がある事を前回の点検の時に見つけ改善していたなら、少なくとも手の指の切断と言う事故は防げたと思うからだ。
『公園事情』:ニュースに見るこどものあそび/2006年03月18日
今回は、ニュース検索を「遊具」で検索してみた結果、次の記事がヒットした。(『』内は見出し、「」内は記事よりの引用。)
『介護予防の公園遊具開発』
「公園の遊具の主役が、子どもからお年寄り向けに代わり始めた。少子高齢化の加速で子ども向け遊具の需要が縮小し、メーカーが相次いで健康遊具の開発に乗り出しているためだ。・・・」(Google ニュース/中国新聞:2006年3月12日)
公園という場所は、決してこどもだけの為の施設ではないので、そこに設置されている遊具は、だいぶん前から大人も使えるスポーツや健康を意図した遊具が見られるようになってきた。
今回も、その延長線上の事だが、その対象をさらに高齢者まで拡がってきた事は、納得も出来るし大変有意義な事には違いがないだろう。ただ、その事によって、こども達の外あそびの場所や機会が減少してきている事態が、更に一層進まないような配慮を忘れてはいけないだろう。
公園で、こども達が大声を出したり、走り回ったりする事で、心ない大人に叱られたという話を度々見聞きする様になってきている。それは、公園そのものが少なすぎる、狭すぎると言う事が大きな背景だが、あそび場と憩いの場とそして健康保持の場としての、公園内の機能による空間的分離が必要だと思う。
例えば、我が家の近くの新設公園は、ボールあそびが出来る多目的広場とブランコ・滑り台のある児童遊園及びベンチの憩いの場が設けられているが、フェンスや柵などで分離されておらず、中学生などの蹴ったボールが高齢者や幼児に当たりかねない配置になっている。
これでは、事故が起きれば、区内の多くの公園でそうであるように、ボールあそびが一切禁止の公園ともなりかねない。もっと進めば、「公園では走り回ってはいけません!」などとの掲示まで出かねない。
『登り棒事故に思う』:ニュースに見るこどものあそび/2006年04月02日
この間見たネットニュースによると、2003年10月に起こった遊具事故で、保育園長ら6人書類送検されたそうだが、その記事の中で少し気になった部分があった。それは次の一節だ。「・・・登り棒で遊んでいた祐成ちゃんが、高さ約2メートルから転落してコンクリートで腹を強打。・・・(中略)・・・多臓器不全で死亡した。」(「」内は記事よりの引用。)(Infoseek ニュース/共同通信:2006年3月24日)
登り棒はこどもが登る為の遊具だが、登るという事は落ちる可能性がそこには当然の事としてつきまとってくる。その頻度の大小はあるが、登る事と落ちる事とは一体の事なのだ。だから、その点が考慮された遊具の設計と設置状況になっていなければならない。
この事故で言えば、落ちる可能性のある場所がコンクリートである事が、そうした遊具の設置要件を満たしてはいなかったのではないかと思われる。屋外での登り棒の設置や固定にコンクリートが欠かせないかも知れないが、そのために必要な部分は地中に埋めるか、極力露出部分を少なくする必要があるだろう。
この事は、すべり台・雲梯(うんてい)など、高所に登って(ぶら下がって)あそぶ遊具に共通した事だが、私達の身近にある遊具をこうした視点で点検するのは、こうしたある意味では防ぎうる不幸な事故をおこさないためには必要な事だと思う。
『ボールあそびは何処で?』:ニュースに見るこどものあそび/2006年04月10日
ネットニュースを見ていると、悲しく傷ましい記事が目に止まった。以下はその見出しだ。(『』は見出しの引用)『ボール遊びの男児、ローラー車にひかれ死亡…福岡』(Infoseek ニュース/読売新聞:2006年4月10日)自動車販売会社の敷地内での事故だそうだ。
郊外や農村部ではそうでもないが、都市部ではますます「ボールあそび」ができる場所が、少なくなってきている。私の近所を見ても、車が入ってこない道路や路地は極めて少ない上、そこはボールあそびが出来るほどの広さもない所がほとんどだ。
さらに、せっかくの公園には、お決まりともなりつつある「ボールあそび禁止」の看板が立てられ、そうでない所でもおとなに叱られて実質ボールであそべなかったりで、ボールあそびは唯一学校の校庭ぐらいか、少し遠出をして大規模公園の禁止掲示のない広場に限られてくる。
今回の事故も、まさに、こうした状況がつくり出した「あそび災害」ともいえる典型的な例と言えるだろう。そして、その責任の一端は、そうした街作りをしてしまった私を含めたおとなにある。「ボールあそびができる街づくり」こそ、今回の事故にたいして、おとなとしての大切な誠意ではないだろうか。
『外で遊ばなくなった子どもたち』:ニュースに見るこどものあそび/2006年04月28日
Google ニュースに、「同公園を拠点に草木染めや陶芸に励む主婦ら4人が『外で遊ばなくなった子どもたちに昔、夢中になった遊びを体験させたい』と企画。」(「」内は記事から一部抜粋して引用)(Google ニュース/京都新聞:2006年4月28日)との記事があった。
ここで、注意しなければならないのは、こども達みんなが外であそばなくなったのではないし、こども達がいつも外であそばなくなったのでもないと言う事だ。ただ、外であそぶ事が、あそびの種類の数でも時間でも少なくなってきているのは多くの人が認めている。
私の家の近くの公園では、いつも多くのこども達が、何人かで、時には一人で、それぞれのあそびをしているのを見かける。ただ、校区内のこどもの数から見ればその人数はほんのわずかと思われる。もちろん、その他の公園や空き地、校庭であそんでいるかもしれないこども達の数を考慮しても、まだ少ないといえる。
この事は、外でのあそびがこども達に魅力のないものになったわけでもなく。あそんでいるこども達の生き生きとして楽しそうな表情を見れば、外あそびは十分に魅力的だ。だから、この記事の企画のような外あそびの機会や、多くのこども達が外であそべる時間的および空間的条件を整備してやれば、こども達は以前のような外あそびの勢いを取り戻すだろう。
『善意も危険に』:ニュースに見るこどものあそび/2006年05月25日
公園にある遊具にまつわって、せっかくの善意が事故につながってしまったと言う記事がネットニュースにあった。【滑り台の降り口付近で立ったところ、バランスを崩し、転落してふたに額がぶつかった。裂傷を負い縫合する治療を受けたという。・・・(中略)・・・着地点の地面がくぼみやすく、水がたまるのを防ぐため、善意でふたを敷いたと思う。しかし、危険性を見落とした市の安全管理の責任は免れない。】(【】内は記事からの引用、Google ニュース/岩手日報:2006年5月18日)
おそらく、滑り台の設置者と後からくぼみに鉄製のふたを置いた方とは別の方だとは思うが、こども達があそぶ遊具の設置には、万が一の転落による事故の程度を軽減するために、高いところへ登るような遊具の周りの地面はコンクリートや金属などが無いように考慮する事が望まれている。
その事が、ふたを置いた担当者までは周知徹底していなかったのだろう。しかし、こども達が使用する遊具は、定期的には点検が必要なのが当たり前で、このケースでは直近の点検が3月という事だが、ほぼ2ヶ月経過しての事故なので、点検の頻度の問題も考えられるだろう。
『安全な公園』:ニュースに見るこどものあそび/2006年05月29日
今朝のテレビのニュース、正確にはニュースショー番組の一コーナーで、最近の公園事情を特集していた。そこでは、最近こどもが痛ましい被害者となる犯罪が増えているように思われる中で、こどもの安全を考えた公園が紹介されていた。
その中で考えさせられたのが、監視(防犯)カメラが徹底的に設置された公園と、屋内の有料会員制公園(スペース)だ。こども達のあそびに安全を確保するためとは言え、とうとうここまで来たかとしばし考え込んでしまう。
もうすでにごく一部ではうわさされている、完全ボディーガード付きのあそびさえ現実味を帯びつつあるような、世の変化には驚かざるを得ない。決して街や村が危険になったのではなく、人そのものが一部とは言え危険になったのだから、「安全な公園」もさることながら、人の「ありよう」や「育ちよう(育てよう)」に、もっと目を向ける必要があるのではないだろうか。
『公園に除草剤』:ニュースに見るこどものあそび/2006年06月23日
公園に関わる記事をネット検索していたら。次の記事が目にとまった。【瀬戸市内の都市公園で必要以上の除草剤が使われ、市民から苦情が出ていることが分かった。・・・(中略)・・・いくつかの公園では遊具のそばなど人が立ち入りやすい場所でも散布していた。・・・(中略)・・・比較的安全性が高いとされる除草剤を使用したというが、まかれたとみられる一帯は立ち枯れしている。】(【】内は記事からの引用、Google ニュース/中日新聞:2006年6月19日)
環境保全が社会的なコンセンサスを得ている時代にあって、このような記事にはガッカリする。最近の身近なところの公園の利用状況から見れば、乳幼児と高齢者が利用者の大半を占めるような状況下で、このような状態では公園が安らぎや憩いの場としての存在意義にも反する。
少なくない自治体では、かなり以前から除草剤の使用を止めているそうだが、未だに除草剤を使って除草している公園があるという事だが、幸い近くの公園では草刈機などを使って除草していたのを見かけたので、心配には及ばないだろう。ともかく、一度はお近くの公園の除草の仕方を調べてみる必要があるだろう。
『回転遊具事故』:ニュースに見るこどものあそび/2006年06月29日
ネットニュースにまた残念な記事があった。それは、こども自身の責任ではない、管理するおとなの側に責任のある、公園での遊具の事故だ。まずは、記事から【金沢市内の公園で回転遊具の芯棒(しんぼう)が折れ、倒れた遊具から投げ出された児童四人が軽傷を負った事故で、金沢中署は二十六日までに業務上過失致傷の疑いで捜査に乗り出した。同署は事故原因の究明を急ぐとともに、担当者らから事情を聴き、市側の管理責任を追及する。】(【】内は記事からの引用、Google ニュース/富山新聞:2006年6月27日)
別の記事によると、点検は月に一回程度は行われていたらしいが、結果として不良箇所を見逃した事となる。また、該当遊具は設置後20年以上も経過しているそうだが、その事が点検頻度や点検方法に考慮されていたかどうかも気になる。
また、公園設置の遊具は、ほとんどのものが屋外にあり、当然ながら風雨や日射にさらされる。所によっては、塩分や腐食性のガスの影響もあるかもしれない。遊具の法的な安全基準は無いそうだが、少なくとも耐久年数ぐらいは製造者が責任を持って明示すべきだろう。
『遊び声うるさい』:ニュースに見るこどものあそび/2006年06月30日
最近のこどものあそびをめぐる事情の一つがネットニュースにあった。【公園で遊んでいた小学生に日本刀のようなものを突きつけたとして、・・・(中略)・・・容疑者(58)を暴力行為等処罰法違反の疑いで逮捕した。「遊び声がうるさかった」と話し、容疑を認めているという。】(【】内は記事からの引用、Google ニュース/朝日新聞:2006年6月30日)
これは、知り合いの学童保育の指導員さんからも、こども達が公園で「うるさい」と叱られたと言う話を聞いていたし、よく似たことがニュースにもなったりしているので珍しい話ではない。
それは、こども達が元気よくあそぶ事によって起こる歓声を、目を細めながら見守る優しさが出せないほど、今の時代のおとなの生活の有り方が変わった事に一因があるかもしれないが、残念なことだ。
『危険な場所』:ニュースに見るこどものあそび/2006年07月03日
この間、様々な地域や団体で、こどもの安全に関する調査やアンケートが実施されているが、そのひとつがネットニュースにあった。その中から関心を持った箇所を引用して紹介する。【さらに、86%が「地域内に危険な場所がある」と回答。具体的な場所(複数回答)は「近くの夜道」(37%)「登下校時の通学路」(25%)「塾や習い事の往復路」(13%)「公園や遊び場」(同)を挙げた。】(【】内は記事からの引用、Google ニュース/中国新聞:2006年7月1日)
この調査結果は「広島市中区のNPOが廿日市で調査」されたものだが、この質問への回答が自由書き込み方式なのか選択方式なのかは判らないが、地域内の危険場所の順位に注目したい。
まず、第一位が「近くの夜道」であるのは、その分小中学生の生活時間に占める夜の割合が増えたと言われる時代を反映しているのだろう。「塾や習い事の往復路」が三位にランクされているのとあわせ考えると、「夜の塾や習い事」は最も危険性が高いと言えるかも知れない。登下校時の「見守りボランティア」はあるが、塾や習い事のそれはないので、より留意が必要だ。
つぎに、13%とは言え「公園や遊び場」が挙げられているのは、おかしなことだと思ってはいるがそれが現実の素直な回答なのだろう。「公園や遊び場」は普通は多数のこども達があそんでいる所で、その分「公園や遊び場」への途中よりは危険が少ないはずだが、このような回答になるには見通しが悪いなどの、それなりの理由があるとは思うが、詳しい分析も必要だろう。
ともかく、こうしたある意味では敏感すぎるようにも思われる不安が、一刻も早く一掃されるよう願うものだ。そのためにささやかなりとも自分なりに考え行動していきたいと思っている。
『回転遊具撤去』:ニュースに見るこどものあそび/2006年07月15日
前にこのブログで書いた金沢での回転遊具の事故のその後の記事を紹介する。【市内の公園や小学校に同じ種類の遊具が37基あり、このうち33基で回転軸や軸受け部分に亀裂やくぼみが見つかった、と報告しました。問題の33基はほとんどが、設置されて30年程度経っており、坂戸局長は1基はすでに取り外し、残る32基も年内に撤去する考えを示しました。】(【】内は記事からの引用、Google ニュース/中日新聞:2006年7月10日)
要するに、設置されている回転遊具の大部分で撤去しなければならないような欠陥個所が見つかったと言うことだが、「それではそれまでの定期点検は何だったか」と素朴な疑問が起こる。さらに、【今後、設置場所や使用頻度、遊具の特徴に応じた安全点検を行うとする再発防止策を了承し、終了しました。】(【】内は同記事からの引用)と言う事だが、「使用頻度、遊具の特徴に応じた安全点検を行う」と言う当たり前の点検が行われていなかった事を意味し、背筋がゾクッとする。
さらに、同じ種類の遊具は全国に数多くあり、当然その中には金沢のものと設置時期が変わらないものもあるだろう。果たして、同様の処置がそうした古い遊具がある所でも実施されたかどうかも気になるところだ。
『高齢者専用遊具』:ニュースに見るこどものあそび/2006年08月31日
ネット(ニュース)検索は時には思わぬ記事をヒットさせる。先ずは、そのヒット記事から、【松寿園は社会福祉法人六高台福祉会(松澤日出夫理事長)が一九八七年四月に設置、運営している。介護が必要な人たち百人が入所し、ショートステイやデイサービスなども実施。「地域に貢献したい」と、施設の開設二十周年を迎えるのを機に「うんどう遊園」の整備を決めた。
約五百平方メートルの中庭に、ぶら下がりや高さの低い平均台、腹筋と背筋運動が行える台など計八種類の「高齢者専用遊具」を設けた。けがの防止や肌に触れた感じが良いように、材料は主にヒノキ材を使った。遊園内には設置の趣旨や遊具を使った運動の仕方などを書いたパネルも配置した。】(【】内は記事からの引用、Google ニュース/東京新聞:2006年8月29日)
この記事の様な「高齢者専用遊具」は、ともかく街中の公園には大人向け遊具が設置される所も増えてきている。少子化・高齢化の進行に伴って、当然ながら街中の公園の利用者に占める高齢者の割合が増えた事への、公園のあり方の変化かもしれない。
それでなくとも公園であそぶ小中学生のこども達の姿が減ってきたと言われている昨今、ともすれば公園で遊んでいる?のは幼児と高齢者だけと言う事態も現実味をおびつつあるようだ。もちろん、高齢者が専用遊具で遊ぶ事にも大きな意義があるのは言うまでも無い。
『公園でキャッチボール』:ニュースに見るこどものあそび/2006年09月03日
ボールあそびの出来る公園が少ない現状の中で、今後が楽しみな動きと新製品の記事がネットニュースにあった。【国営昭和記念公園(立川、昭島市)は九日、「公園でキャッチボール」を開催する。安全上の配慮などからキャッチボールを楽しむ機会が減る中、昔ながらの「ボール遊び」の復権を目指す。使用するのは新開発のやわらかボールで、初心者でも十分楽しめそうだ。・・・(中略)・・・きっかけは、野球関係者や学識経験者らが、公園での禁止などで子供たちの間にキャッチボールの習慣がなくなりつつあるのに危機感を抱いたこと。関係者らは二〇〇三年、「キャッチボールのできる公園づくり懇話会」(現・キャッチボールのできる公園づくり推進会)を発足、全国の公園にキャッチボールイベント実施を呼びかけた。】(【】内は記事からの引用、Google ニュース/中日新聞:2006年9月3日)
屋外で身体を使ったあそびには、ボールあそびは最適なあそびの一つだが、そのボールあそびが自由にのびのびと出来る公園は、街中には極めて少なくなった。そんな現状の中でキャッチボールのできる公園づくり」の活動は極めて意義の大きい活動だろう。
ただ、「新開発のやわらかボール」を使ってのイベントだが、街中の公園の現状では高齢者や幼児との共用公園が多く、やわらかボールを含めた全てのボールあそびが禁止の公園もあるので、そのあたりの改善も必要だろう。
なお、【使われるボールは、プロ野球選手会が監修し、スポーツ用メーカー「内外ゴム」が開発したキャッチボールの専用球。「遊」「友」「結」「YOU(あなた)」などの意味を込め、「ゆうボール」と名付けられた。】(【】内は上記記事からの引用)
『公園の遊具』:ニュースに見るこどものあそび/2006年09月12日
公園の遊具を考える上でのひとつの意見をネットニュースからひろってみた。【保土ヶ谷区は、未来を担う子ども達の意見をまちづくりに反映させる試みとして、昨年度「こども会議」事業を実施。・・・(中略)・・・なお話し合いは、子ども達の意見を「提言」として取りまとめる事を前提に展開。はじめは「公園に高学年の児童が楽しめる遊具を!」】(【】内は記事からの引用、Google ニュース/タウンニュース:2006年9月5日)
「公園に高学年の児童が楽しめる遊具を!」、尤(もっと)もな意見だと思う。安全性を考慮してなのか、公園にあるブランコや滑り台も幼児用と思われるものも多い。その反対に、下記の画像にある掲示の様に幼児や中学生などの使用を断る遊具もある。
確かに、公園を訪れるこども達の年齢の幅は広いので、それにあわせた遊具の設置は難しいかもしれないが、我が市内の公園の様にほぼ同じ遊具が設置されているのは感心できない。
地域地域の事情により、そこの公園に訪れるこども達(おとな達)の構成比率も違うはずだ。高学年の子が多ければ、当然それに見合った遊具の選定と配置が必要だろう。
バリアフリー公園:ニュースに見るこどものあそび/2006年12月19日
様々な施設や交通機関などでのバリアフリー化が日本でも進みつつあるが、遅れているのが公園だろう。その公園のバリアフリー化の外国での例をネットニュースから紹介する。【「みんなの遊び場が大にぎわい」という見出しが目に飛び込んできた。障害児に配慮した児童公園に、一般の子ども連れも殺到しているという内容である。(中略)8000平方メートルの広大な公園で、通路幅などに車いすへの配慮が見られるが、特殊な施設というイメージは全くない。カラフルで楽しげな遊具で、障害のある子もない子も一緒に遊んでいる様子は、とてもすてきな光景だった。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2006年12月19日)
アメリカのワシントンでの記事だが、日本でも大規模な公園には、バリアフリーの配慮がなされている所もあるが、こども達があそぶ遊具のバリアフリー化はまだまだだ。さらに、こども達の日常の生活空間にある小公園には、入り口すらバリアフリーになっていない所も多い。
この記事の「障害のある子もない子も一緒に遊んでいる」遊具がどんなものかわからないが、この「一緒に遊べる」という視点が大切だと思う。「一緒に遊べる」という事は、その遊具がハンディのある子だけが楽しめる遊具ではなく、その遊具はハンディのない子も楽しめるという事で、その点に大きな意義があるのだ。
これから設置や建て替えされる公園も多くあると思うが、そうした際に「障害のある子もない子も一緒に」遊べる公園という視点で、その計画にあたっていただきたい。
公園ワークショップ:ニュースに見るこどものあそび/2006年12月30日
最近は、公園の設置に地域住民の意見を取り入れるところも多いが、そのひとつの例をネットニュースからひろってみた。【京都府京田辺市は、三山木地区に新設する公園の名称や設置遊具などを市民に決めてもらおうと、来年1月からワークショップを開く。(中略)ワークショップは、利用者に身近な公園にしようと企画した。公園の名称や設置遊具の種類のほか、植栽の配置なども決める。市は「できるだけ地元の人に参加してもらい、親子からお年寄りまで幅広い層で議論してほしい」としている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/京都新聞:2007年12月30日)
大阪市でも公園の遊具の選定を町会に委ねる取り組みもやっているようだが、基本的には予算の範囲内でカタログなどから選ぶメニュー方式となっている。しかも、その選定の会議には地域住民が誰でも自由に参加できるものでもないようだ。
その点、この記事の取り組みでは、こどもを含めた住民の参加が一定認められている点で優れている。大阪市もせめてこうした方式に改めてほしい。ただ、この記事だけではわからないが、公園の名称と遊具の選定だけでは、大阪市がそうであるように何処の公園も全体として似たような感じになってしまうかも知れない。
できれば、公園全体のコンセプトやデザインにもっとこどもを含めた住民の意見が採用されるようになる方が望ましい。このような方式は、すでに過去にも例があった。それは、震災前の神戸市長田区真野地区での取り組みだ。地域内の幾つかの公園が、全く趣の違った個性豊かな公園になっていたそうだ。
画一的な公園も無いよりはましだが、それぞれの公園がその地域にあったものであれば、今よりはこどもたちが外であそんでみたくなるだろう。時には、面白そうな近隣の公園へも行って見たくなるかもしれない。
(ミニエッセイ集は、「遊び学ブログ」の記事を加筆・修正したものです。)
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