遊園地雑感
(ミニエッセイ集)
遊び学ブログにおいて、テーマ(こどものあそび:その今昔)で「遊園地」や「テーマパーク」などについての思いつきなどを書き綴ったものをまとめて転載したものです。なお、必要に応じて加筆・修正を施しております。
びっくり箱の夢でうなされて!!/2003年10月10日
昨日から、ダウンしている。おそらく風邪の熱のせいだろう。全身がだるい。この様な時、決まって見る夢がある。昔、祖父に連れられていった遊園地の、びっくり箱という乗り物だ。
座席付きの大型ブランコが、全面ガラス張りの部屋の中にあり、その部屋が回転するのだ。それも、ブランコのゆれに沿って。だから、乗っていると逆さまになったような錯覚に陥る。これが、小さかった自分にはとても怖かった。数十年前の事だった。昨日も、夢に出てきた。その遊園地は今はもう無い。夢の中でしかもう乗れないびっくり箱だ。
(この遊園地は、先日廃園となった「阪神パーク」である。:転載後注記)
絶叫マシンに思う。/2003年10月11日より
最近の遊園地で、一時期気になったのは、いわゆる絶叫マシンの多さと凄さだ。これでもかこれでもかの怖さを競い合うようにして、絶叫度が増していった。そして、多様な絶叫を求め、絶叫マシンが増え、絶叫マシンだらけの遊園地になる。一時期、お年寄りと小さな子ども達がのけ者にされたかのようであった。弱者に、不向きな遊園地とも言えるのでは。
絶叫マシンがかかえる問題点として挙げられるのが、その料金が高額な事だ。その理由のひとつが、絶叫マシンの弱点として、繰り返し乗るとその絶叫度が必ず落ちる。だから、ある程度の期間をおいてリニューアルしないとあきられやすくなる傾向にある事だ。
だから、つぎつぎと奇抜なニューマシンが作られる。当然、設置費用や危険防止費用がかさんでくる、そうすると料金が上がる。こうして絶叫マシンは、どんどん料金が高額になって行く。
観覧車とスローフード:遊園地考/2003年10月13日より
遊園地の遊具でこの間、じわりと人気の上がってきているのが観覧車だ。高さが競い合うように高くなるのと、空調設備付きのデラックスなものが出来る中で、再び利用客を集めてきている。また、過激マシンからの回帰も一要因だ。ファーストフードからスローフードへの転換と軌を一にした動きと思われる。
観覧車とスローフードの共通点は、遅いという事ではなく優(やさ)しさだ。それぞれ人に優しい乗り物であり食べ物なのだ。当然、優しい乗り物は、お年寄りや子ども達を含む、多くの弱者の皆さんに対しても優しい。遊園地でこの様な優しい乗り物が増えると、遊園地は万人がもっともっと憩える場所となるだろう。
すべての人に優しい遊園地を!!!/2003年10月15日
遊園地と優(やさ)しさの関係を考える時、忘れていけない事が癒(いや)しである。「遊び」の重要な側面である癒しだ。そもそも遊園地は癒しの施設として作られている。その癒しの方法は、個人によって違う。絶叫マシンのスリルによって癒される人もいれば、観覧車でゆったりと美しい景色を眺めて癒される人もいる。
だから、遊園地がもし入場対象者を限定しないものなら、絶叫マシン的乗り物と観覧車的乗り物のどちらに偏ってもいけない。しかも、障害を持たれた方やお年寄り等の弱者の方にも当然の事として、遊園地で楽しむ事が保障されるべきだ。バリアフリーは、遊園地でも当然の事だと思う。遊園地は、すべての人を優しく包んで癒して欲しい。
遊園地よ、万人の癒しの遊び場であれ!!/2003年10月16日より
遊園地、書いて字の如く正に遊ぶところだ。比較的に頑丈な若者だけの施設でもなく、みんなが遊べるところだと思う。先に、身体的弱者についてふれたが、経済的弱者にも遊園地は開放されなければならないと思う。入場料が高くては、入る事さえ出来ない。設備への投資額(設置・維持費)が膨大になるにつれて、遊園地の入場料・乗り物料金がかなり高額になってきている。考え物だ。せめて入場料だけでも、軽減すべきだと思う。
祖父とのびっくり箱の思い出で始まった遊園地話、そろそろ締めくくりとしよう。私の祖父のように、孫を連れて遊園地を訪れるお年寄りも多いかと思う。過激マシン設置競争の投資過剰で、お年寄りがお孫さんと一緒に乗れる乗り物が遊園地から消え失せない事を願い。さらに、すべての遊園地の乗り物が、ハンディをもたれた方にも門戸を開放され、遊園地が万人の癒しの遊び場になる事を切望して、締めくくりとする。
あやめ池遊園地の廃園によせて/2004年01月25日
またひとつ老舗の遊園地が無くなる。多くの大阪の人たちに愛されてきた「あやめ池遊園地(近鉄)」だ。「阪神パーク」「宝塚ファミリーランド(阪急)」と次々といわゆる電鉄系の遊園地が消えていく。近鉄系では、「伏見桃山城キャッスルランド」に続いての閉園となる。どの遊園地にも幼き頃の思い出がいっぱいある者にとって、ある意味では一緒に過去の自分自身が消えるようで、何とも言えない寂しさがこみ上げてくる。
仮に遠くにある東京ディズニーランドの様なテーマパークが無くなったとしても、この様な感情はこみ上げては来ないだろう。それだけ、それらの遊園地は、日常普段の生活の中にキッチリとその場所を占めていたのだ。そこへ足を運んだ回数そのものが違うし、そこでの遊び方も違うし、なによりも気軽に行けたところなのだ。こういった思いは、これほどいたるところに大テーマパークが増えた状況に慣れた人には分からないかも知れない。
残された電鉄系遊園地は数少なくなった。人気とは裏腹な政府の無策による長引きすぎる不況の中では、ひょっとすればそれさえも無くなってしまうのか、そんな予感さえよぎった「あやめ池遊園地」廃園のニュースだった。
絶叫マシーン、慣れとの際限なき闘い/2004年01月27日
カイヨワの遊びの分類によると、ブランコあそびは「イリンクス: 眩暈(めまい)」に分類される。パニック状態や朦朧状態などを楽しむ遊びを意味し、ブランコあそびは古くからあるその典型的なものだ。ブランコに座ってゆったりと揺られる心地よさ、幼いこども達だけの特権ではない。やがて、立ち漕ぎができるようになると、風を切ってのあの爽快感・スリル感は言葉であらわせないほどだ。
このスリル感をとことん追求したのが、宙返りコースターに代表される絶叫マシーンだ。今や、絶叫マシーンの無い遊園地は人を呼べないとも言われている程である。しかし、最近のこの絶叫マシーン導入競争が思わぬ影を落としているのではないかと以前の日記で書いた。弱者に不向きなのと料金の異常高騰だが、今日はその競争のむなしさを書いていく。
「イリンクス: 眩暈(めまい)」に分類されるあそびは、その性質上絶えず「慣れ」とのせめぎ合いにさらされる。あれだけスリルがあったマシーンも慣れてしまえば、さほどでなくなる。それ故、新しいマシーンを求めるのだ。しかし、どんなマシーンにも必ず「慣れ」が訪れる。だから、マシーン開発と「慣れ」の闘いは際限がないのだ。これは、始めから予想できたにもかかわらず多くの遊園地はこの泥沼に落ち込んだのだ。これが、遊園地廃園の一つの背景にもなったと思う。
ではここで、この「イリンクス: 眩暈(めまい)」遊びのひとつのあり方を示そう。それは、ブランコに帰ることだ。どうせ慣れが来て飽きられる運命なら、なすがままに任せて飽きられよう。まんがいちに後に続くこども達がこの世に生まれなくなって、誰もブランコを使わなくなっても、たかが知れている。また、ブランコは心地よい優しい刺激も与えてくれるが、この心地よい刺激は、パニック的刺激に比べ以外と「慣れ」が来るのが遅いのだ。と言うより、心地よい刺激は「慣れ」が来ないかも知れない。(ブランコに酔う人は別)
こうしたブランコ型(形式ではなく内容)遊具が、遊園地で見直されるよう願っている。もちろん、絶叫マシーンも私は苦手だが、ほどほど程度ではあるが必ず設置して欲しい遊具であるに違いはないが。
家族団欒の観覧車:本日の一句/2005年04月30日
春爛漫 家族で団欒 観覧車 風ほうせん
最近、遊園地だけでなく繁華街のど真ん中にも、全国的に増えつつある観覧車。昔から、幼児からお年寄りまでが一緒に楽しめる数少ない大型遊具だ。最新の物は、空調設備も付いて、春秋のみならず真夏も真冬も乗り心地は快適だ。ファーストからスローへの回帰現象の一つかも知れない。
(冒頭の句は、俳句形式の遊句として連載したもの、以下同じ。:転載後注記)
枚方大菊人形展が幕を閉じる!:本日の一句/2005年09月29日
世は流れ 菊人形も 記憶へと 風ほうせん
「ひらパー」でおなじみの枚方パークの、菊人形が今年を最後に100年近く続いた歴史の幕を閉じる。ただ、全国にはまだ各地で菊人形展が催されるそうだが、伝統のある枚方パークでは明日から開催される展示をもって最後となる。幼き頃、薄暗い中にスポットを浴びて菊人形が立っている。はじめて見た時、ほんの少し気味悪くも思った菊人形、世の流れのなせる事とは言え、思い出深い催しがまたひとつ無くなるのは、残念な事だ。
最後の菊人形展に行列:本日の一句/2005年11月04日
幕閉じる 菊人形展に 列なす子 風ほうせん
枚方パークの大菊人形展が歴史の幕を閉じる事もあって、平日でも見学者の長い行列が出来ているそうだ。それは、前年の5倍の勢いとも言われているが、その勢いのせいか、こども達も家族や学校や保育園などの先生に連れられて、その列に拍車をかけている。おそらく、はじめて菊人形を見る子もいるだろう。そして、今回が永遠の見納めになるかも知れない。それは、枚方の菊人形展の終了が、確実に菊人形そのものの衰退を早めると思われるからだ。
『遊園地事情』:ニュースに見るこどものあそび/2006年03月25日
この三月末で「神戸ポートピアランド」が閉園する。この辺りの事情をニュースから拾ってみた。「かつては定番の遊び場として子供たちの歓声に包まれた遊園地も不景気や少子化で全国的に衰退。・・・(中略)関西では平成十五年に「伏見桃山城キャッスルランド」(京都市)、「阪神パーク」(兵庫県西宮市)、「宝塚ファミリーランド」(同県宝塚市)が相次いで閉園。翌十六年には「あやめ池遊園」(奈良市)、「りんくうパパラ」(大阪府泉佐野市)が姿を消した。」(「」内は記事よりの引用。)(Yahoo!ニュース/産経新聞:2006年3月25日)
私がこどもの頃には祖父母や両親などに連れて行ってもらい、大人になってからはわが娘や学童保育所のこども達を連れて行った遊園地が軒並み、この間姿を消していった。世の流れとは言え、何とも言いようのない寂しさがこみ上げてくる。
このニュースでも触れているUSJなどの大型テーマパークの進出、或いは繁華街の屋内型各種アミューズメント施設の台頭も大きな要因かも知れないし、ニュースにあるように不景気や少子化を含めた、それだけの理由ではこれほどの大衰退は語れないように思う。
こどもをはじめとした、日本に於けるあそびのあり方そのものが、大きく変化しているのではないかとも思える。それは、社会や地域、ともすれば家族にも象徴的に表れている人間同士の関わりの変化、それに迎合するかのように金を媒介とする遊び(こどものあそびだけではない。)の飛躍的な増大などが考えられる。この事を深める私見は、今後の当ブログや遊邑舎のサイトでの課題としたい。
『スケートリンク事情』:ニュースに見るこどものあそび/2006年03月26日
トリノ冬期オリンピックで荒川静香さんが金メダルをとり、にわかにアイススケート場へ足を運ぶこども達が増えているそうだが、先日のテレビニュースによると、アイススケート場が相次いで閉鎖していっているそうだ。これまた、来場者が減り経営が難しくなっているのが主な理由らしい。
その昔、そのアイススケート場が、次々と新設されていった時期が懐かしく思い出される。それは、1960年代の初頭、丁度私が中学生の頃からだった。当時、西淀川区の中学に在籍していたが、阪神電車で川を越えた次の駅近くに、東洋一と言われた大きなアイススケート場が出来た。
こどものあそびでは満足しきれない中学生にとっては、適当な遊びだった。ただ、滑走料金も安くはなく、そうは頻繁には行く事が出来なかったが、中にはマイシューズ、それもホッケーシューズやスピードスケートシューズを持っている者も、何人かはいた。
そんな時代があった事がウソみたいに、今は先のスケート場をはじめ多くのスケート場が大阪から姿を消していった。そのほとんどが民間のスケート場で、残されたスケート場では公営のスケート場が目立つのは、民営化の時代?にあって皮肉な現象でもある。
『人工干潟であそぶ!?』:テレビで見たこどものあそび/2006年04月18日
今日のNHKテレビの「生中継 ふるさと一番!」で、干潟であそぶ楽しそうなこども達の映像が中継されていた。素足を海水に浸け、貝やヤドカリを無心に捕っているこども達の姿は、見ていて心が和む光景だ。
この干潟、実は福島県・いわき市にある水族館「アクアマリンふくしま」の施設内に造られた人工干潟なのだ。この施設には他にも磯を地元の生物を含め忠実に再現した「人工磯辺」もあり、そこには人工の波まで打ち寄せる様になっている。
水族館の展示施設としては、大変素晴らしい事だとは思うが、テレビ映像を見ていて手放しでは喜んではいられなくなった。それは、人工干潟であそぶこども達の背景に、海が映し出されていたのだ。この水族館は海に近い所に作られていたのだ。
その海辺はコンクリート製の人工護岸で、工場・住宅などの建物が建ち並んでおり、いわば都市の海辺の姿がそこにはある。また、都市部以外の所をふくめてて、四方を海で囲まれた島国であるにもかかわらず、日本の海辺の姿は、人工の海辺(人工の海岸線)がはばをきかすと言った姿に変わりつつある。
天然の海辺(干潟・磯辺)が少なくなって来ている事への警告として、人工干潟であそぶこども達の楽しい姿とその背景の変わり果てた海の姿をしっかりと受けとめなければならないだろう。もし、自然の海岸線が復活するなら、これほどのこども達へのプレゼントはないだろう。人工の干潟でも、あれだけ楽しんでくれるのだから。そして、人工干潟は、綺麗な海辺を取り戻すための心を、こども達とおとな達に育んでくれる事を期待している。
『自然観察の森』:ニュースに見るこどものあそび/2006年05月03日
次のネットニュースに出てきた「自然観察の森」をネット検索してみると、「自然観察の森」と名の付く施設が多いことがわかる。【幼いころから自然に親しんでもらおうと、滋賀県栗東市は本年度、市内の幼児園や保育園、幼稚園に通う5歳児約800人を対象に、同市安養寺の市栗東自然観察の森で自然体験学習を初めて実施する。・・・(中略)・・・季節の花や虫を観察するほか、植物の茎で笛を作ったり、聴診器で木の音を聞くなど、遊びを通して自然に触れる。】(【】内は記事から一部抜粋して引用、Google ニュース/京都新聞:2006年4月29日)
当たり前の話だが、この「自然観察の森」やそれと同じ目的を持った施設は、森があるところに作られているか、たとえ人口の森にしろ森が造れる環境にある地域に限られるだろう。当然ながら、大都市の中や直ぐ傍にある施設はごくまれだろう。
だから、そうした「自然観察の森」でこども達があそぶには、交通機関を使ってわざわざそこに足を伸ばしてあそばざるを得ない。それだけ、大都市では自然に触れる機会や場所が少なくなったと言えよう。
その点で、こうした「自然観察の森」のような施設の意義は大きいとは思うが、こうした大規模施設もさることながら、街中(まちなか)の身近な公園に、こじんまりとした草むらや小さくて浅い小池などを設置するのも、また意義のある事だろう。
『ドリームランドも閉園』:ニュースに見るこどものあそび/2006年5月13日
遊園地の閉園が相次ぐ中で、この夏に奈良のドリームランドが閉園されると言う記事をネットニュースで見つけた。その見出しだけ紹介しておく。【奈良ドリームランドが8月末で閉園へ】(【】内は記事の見出し、Google ニュース/朝日新聞:2006年5月13日)これで、私がこどもの頃楽しませてもらった数ある遊園地で残されたのは、「みさき公園」と「ひらかたパーク」ぐらいのものだろう。
ドリームランドは、東京ディズニーランドができるはるか以前に、当時としては「ディズニーランド」の様なスゴイ(当時の実感)遊園地が関西にできたと、開園まもなくの時期に父に連れて行ったもらった。素直に、「こういうのがあのディズニーランドなんやなあ!」と感心したものだ。
その後、小中学校の遠足などで多くのこども達が訪れたので、大阪のこども達(今のこども達を除いて)は一度は訪れたことがあるだろう。少子高齢化の流れ中では、いたし方がないことかもしれないが、大テーマパ−クへの一極集中は、こども達や私達の生活にどんな影響を及ぼすのだろうか。
『あそベース』:ニュースに見るこどものあそび/2006年06月07日
前にもこのブログで紹介した有料屋内公園的施設の記事をネットニュースで見つけた。【アミューズメント施設などを運営するナムコ(東京)は八日、札幌市西区琴似二の商業ビル「5588KOTONI」内に屋内遊戯施設「ナムコあそベース」をオープンさせる。親と子が一緒に遊んだり別々に楽しんだりできる点が特徴。同社はこの施設を全国一号店とし、同様の施設の全国展開を図る考えだ。】(【】内は記事からの引用、Google ニュース/北海道新聞:2006年6月5日)
最近の、こども達の安全が危惧される状況を反映した事とは言え、大企業が全国規模で展開すると言うことは、それなりの採算があっての事だろう。ちなみに、記事によるとこども(1歳から12歳)の料金が30分ごとに350円で、コレを高いと見るか安いと見るかは意見が分かれるところだ。
ともかく、保護者同伴でなければならないので、休日はともかく日常的にどれほどの利用者があるのか判らないが、当然ながらこういった施設でこども達が生活の一部としてあそびを随時展開するには、課題や問題が多いのではないかと思われる。
『デパオク様変わり』:ニュースに見るこどものあそび/2006年06月18日
「デパオク」とは、デパートの屋上を指すそうだが、その「デパオク」の様変わりについてのニュースがあった。【百貨店の屋上といえば子供の時、親に連れられて遊んだ「屋上遊園地」を懐かしく思い浮かべる人も多いだろう。メリーゴーラウンドやミニ機関車。そんな、ノスタルジックな空間だった屋上が、新たな姿に変わり始めている。】(【】内は記事からの引用、Google ニュース/読売新聞:2006年6月16日)
同記事から、最近の「デパオク」にあるものを拾ってみると、愛犬を自由に遊ばせることができる「ドッグラン」、緑あふれる都会のオアシスとしての庭園、オープンカフェなどが有り、こども向けの施設(こどものあそび場)から「新たな生活シーンを提供する」施設へと変わってきている。ここにも、相次ぐ遊園地の閉園と同じく少子化の影響があるかもしれない。
また、その頭数がこども人口より多くなったと言われるペット事情も、こどものあそび場よりペットの遊び場が増える傾向があるのだろう。歴代政府が進めてきた「少子化対策」が、少子化の進行スピードに追いつけなかった、ひとつの結果でもある。小手先の対策ではなく、夢と希望のある「少子化政策」を願うものだ。
『遊具にアスベスト』:ニュースに見るこどものあそび/2006年09月22日
今更何故と思わせる記事がヒットした。【熊本市動植物園の遊具の一部にアスベストが使われていたことがわかり、動植物園では、22日から使用をやめ部品を交換することにした。】(【】内は記事からの引用、Google ニュース/テレビ熊本:2006年9月22日)
これは、前日の北海道旭山動物園の遊具運行停止に続くものだが、よく考えればアスベストが世間を騒がせたのは随分と前の事だ、全国的にアスベスト使用施設からアスベスト撤去が相次いだが、その当時からブレーキパッドの一部にもアスベストが使用されていることがわかっていた。だから、何らかの形でブレーキを使用し、しかも多くのこども達が利用する遊具なら、ずっと以前に点検していなければならない事だ。
少し前に起こったプール吸水口での痛ましい事故後の、幾つかの施設での対応の遅れもあったが、今回の対応は遅れすぎの感は否めないだろう。ひょっとすれば、まだ未点検の遊具が残されているかもしれない。アスベストの被害が現れるのは十年以上も後の事で、こども達で言えばおとなになってからアスベストの魔の手が襲う。早急の対策を期待してやまない。
『キッザニア』:ニュースに見るこどものあそび/2006年10月03日
日本でも「超リアルごっこあそびテーマパーク」とでも表現できる施設がまもなく東京にオープンするそうだ。そのネットニュース記事には、【子供たちがさまざまな仕事を体験し、楽しみながら社会の仕組みを学ぶテーマパーク「キッザニア東京」が5日、東京都江東区のららぽーと豊洲にオープンする。内覧会が開かれた2日、子供たちは消防士などあこがれの仕事を夢中でこなしていた。 キッザニアでは、パイロット、アナウンサー、モデル、医者、保母など70種類以上の仕事を体験できる。“給料”として受け取った仮想通貨でショッピングを楽しむことも可能で、東京の新しい名所となりそうだ。】(【】内は記事から引用、Google ニュース/産経新聞:2006年10月2日)
「キッザニア」でのこども達の活動は、遊園地のそれと同じように、「遊び」の一形態であることには間違いが無いし、「ごっこあそび」の延長線上にある活動である事も確かなことだ。ただ、「キッザニア」でのごっこあそび的活動は、こども達が少なくとも自主的にあそぶ「ごっこあそび」とは大きな違いが幾つかあるが、今回は「おとな」との関わりで見ていく事とする。
「キッザニア」は商業施設であるので、当然ながらおとなが準備・運営、時には監視する活動となる。これはそれなりの意義も利点もあるが、こども達だけの「ごっこあそび」が、こども達自身があそび仲間を集め、準備し、一部始終を取り仕切る事とは対極をなす活動となる。
また、そのようなこども自身だけによる「ごっこあそび」は、その活動からこども達が学び取れる事は、「キッザニア」での活動では得られないことでもある。ともかく、「キッザニア」ならではの、本物に極めて近い「ごっこ」が出来る点を、その入場料分だけは体験するのも有益な事だろう。
納得できない?ビッグバン:ニュースに見るこどものあそび/2006年10月31日
今日のテレビ朝日の「スーパーモーニング」で大阪の「ビッグバン」が取り上げられていた。まず、その「ビッグバン」を簡単に紹介しておく。公式HPによると、正式名称は「大阪府立大型児童館ビッグバン」で、そのキャッチコピーは「『遊び』をテーマに『子どもの豊かな遊びと文化創造の中核拠点』として設立された児童館」で建設費は183億円だそうだ。
この「ビッグバン」が「スーパーモーニング」でおなじみの玉川徹さんの「納得できない!」シリーズで取り上げられた。要するに、大きな赤字を抱える大阪府にとって、税金の無駄遣いではないかという事だ。槍玉にあがったのが、円盤型の未来的な外観とは不釣合いな、ある階に再現された「昭和30年代の街並み」と何十億円もする?「ジャングルジム」だった。
施設の責任者によると、この「昭和30年代の街並み」の目的のひとつが、再現された路地でコマ回しなどを体験してもらい、色んな事を学んで欲しい、との事だ。これには、レポーターの玉川徹さんだけでなく、多くの方が驚かざるを得ないだろう。
確かに、今の大阪の町には、こども達が安全に遊べる路地が少なく、コマ回しは室内あそびとなりかねない、今の時代には、こうした施設も必要かもしれないが、これほどの豪華な施設の中に作る必要も無いだろう。
ともかく、「子どもの豊かな遊びと文化創造」に名を借りた「箱もの行政」との批判が、的確な批判にならないような、今後の改善と運営を願うばかりだ。
消えゆく「デパオク」遊園地:ニュースに見るこどものあそび/2006年12月29日
変わりゆく「デパオク」のネットニュースがヒットした。【百貨店の屋上から遊園地が消えようとしている。大阪・ミナミの高島屋大阪店では、昭和33年に設置された観覧車が今秋、ひっそりと営業を終えた。キタの阪急百貨店梅田本店でも今年、建て替え工事に伴って屋上遊園地が閉鎖された。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/産経新聞:2006年12月27日)
記事にある阪急百貨店の屋上遊園地、一足先に全面改装された阪神百貨店の屋上遊園地は、私がこどもの頃よくあそんだ所で、その後何度かは娘達もあそんだ所だ。また、百貨店の大食堂も同様になくなっている。
少子化とは言え、買い物をして、食事をして、そして遊園地であそぶ、こうした一連のこどもたちと休みの一日をデパートで過ごすと言った風情も、もはや過去のものとなるようだ。
また、阪神パーク・宝塚ファミリーランドなどの老舗の遊園地も姿を消した。この、10年余りで大小の遊園地が急速になくなっていった。それらの遊園地は幼児から高齢者までが一緒にあそべる遊具が多い施設であった。
一方で、大型テーマパークは数とその規模を大きくしている。しかし、それらの施設には、幼児から高齢者までが一緒にあそべる遊具はあるにはあるが、だんだんその数は少なくなっているように思う。
こうした流れは、当然ながらこどもたちにどのような変化をもたらせていくのだろうか。私には、一抹の不安を感じられるのだが。少子化に合わせるような流れでは、決して少子化をくい止められないだろう。そんな気がしてならない。
(ミニエッセイ集は、「遊び学ブログ」の記事を加筆・修正したものです。)
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