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名前あれこれ
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 実践報告と実名

 以前も今も仕事柄、子どもの成長・生活や行動・活動などに関するいろんな実践報告やレポートなどを見てきましたが、ずっと疑問に思っていたことがあります。これは、自分自身への反省でもあります。個人の成長や行動を記録した報告やレポートに意外と実名が使われていることです。しかも、当事者にとって不名誉なことが書かれているものにまで実名が使われている事があります。当事者やその保護者の了解を得ているかどうかに、大きな違いはありません。
 それを奨めるある専門家の意見によると、実名を書くことによりその報告がより具体的にいきいきしたものになるとの事です。もちろん、実践報告やレポートが具体性に富みいきいきしたもでのあることには意義はありません。しかし、実名で書かれていない事が即抽象的な報告になるわけではないでしょう。報告に書かれた当事者しかもそれが子どもであったら尚更、その人を思いやって実名を出さないのが適切だと思います。ともかく、不名誉な内容を書くときには、実名をさけるのが望ましいと考えられます。このように、わりと日本では、プライバシーに鈍感であるように感じられます。

 姓と名

 最近、子ども達の間では、話し相手を姓で呼ぶことが多いようです。それも、かなり親しい関係でも姓が使われています。おとなは、仕方がないとしても、子ども達のこんな様子は何故なのかを考えてみると、そこには今の子ども達のある現状が浮き彫りになってきます。私たちも、こどもの頃でも学校では姓で呼んでいましたが、いったん学校を離れると言うより、授業時間でなくなると「名(姓と名のうちの名)」で呼んでいました。要するに、公的な場では姓で私的な場では名と使い分けていたのです。ここから創造をたくましくすれば、今の子ども達には私的な場減ったのではないかと思えます。その私的な場の大部分を占めていたのが、「あそび」だったことを考えると、「あそび」が減った今の子ども達にとって極当たり前のことかもしれませんが。

 あだ名とニックネーム

 人間関係がかなり親しくなると、あだ名が使われことがあります。そんなあだ名は、呼ばれても快いものです。しかし、あだ名は決して快いものばかりではありません。特に、子どもは残酷で、平気で蔑称に近いあだ名をしばしば付けます。また、そうでなくとも呼ばれたくないあだ名もあります。あだ名で人を呼ぶときには、細心の注意が必要で、子どもに接するおとなは特に気をつける必要があります。私が、勤めていた学童保育所で、つい同僚がインスタント焼きそばで当時はやっていた銘柄名と同じあだ名をある子に付けて、問題になったことがあります。そのあだ名がいやだったのに、その子は言えず悩んでいたのです。それは、すぐに対処し解決しましたが、この様に子ども達の間で自然に生まれるあだ名はともかく、教師や保育士・指導員などのおとなは、あだ名の付け方には最大限の注意が必要です。

 一方、英語のニックネームという言葉に「愛称」という訳があります。もちろん、ニックネームにも呼ばれたくないものもあると思います。しかし、この「愛称」という意味をかみしめて、もう一度私たちの周りで使われる「あだ名」や「ニックネーム」を見直しましょう。呼ばれる相手のことを思いやった、「愛称」が子ども達の間に満ち満ちることに、おとなはもっとその責務を果たす必要があると考えます。

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