あの町この村に、子どもらの遊ぶ笑顔を求めて ユニット折り紙
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現代ビー玉考
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CUT-ビー玉1 ビー玉は手で飛ばすもんやで!  (ビー玉の実際の遊び方はこちらへ。)

 最近、子ども達の間で、ビー玉あそびが復活したそうです。ところが、そのあそび方を見て、つい心の中で「ビ−玉は手で飛ばすもんやで!」と、グチってしまいました。もちろん、子ども達は「何言うてんねん。手で飛ばしてるやんか。」と言い返すでしょう。確かに、手ではやってはいるんですが、人気キャラクターの発射器でビー玉を飛ばすやり方です。また、そのあそび方もビー玉どうし当てるのでなく、これまたキャラクターのロボットなどに当てて倒すのです。昔の、ビー玉あそびの面影はどこにいったやら、嘆くのは我一人か。こどもの頃、腕を振るった私としては、ただ落胆の一語です。
 しかし、子ども相手にグチれません、こどもにそうなった責任はないのです。世の流れ全般がそうしたのです。強いていえば、そうした流れを止め得なかった、私を含めたおとなの責任だと思います。しかし、そのおとなの責任を遅ればせながらも、果たせる機会はまだまだ残されてはいます。

CUT-ビー玉1ビー玉であそべない街

 そこで、その責任を果たす方法はみんなで考えていただきたいので、それを考える前提として、何が世の流れとともに変わったのかを考えてみます。しかも、その中でもこどもたちが住み育つ街の変化に焦点をしぼって考えます。その最大の変化は、土のある路地や広場が、こどもたちの直ぐ身近にほとんど無くなったことです。草野球のできる程度に大きな空き地や広場が消えて久しく、ここに来てビー玉ができるわずかばかりの地面すら少なくなるに至ったのです。コンクリートやアスファルトの上では、ビー玉は落とすだけで割れてしまい、投げて当てるなんてもってのほかです。また、そこでは当然、穴は掘れないので「天国と地獄」などのあそびはできません。穴の掘れそうな児童公園では、穴を掘っては管理者からお小言をちょうだいします。もちろん、特別の場合を除き、一般に公園では穴を掘る方が間違ってはいますが。

CUT-ビー玉1ビー玉は再び手で直に!

 こうなると、ビー玉の活躍の場は屋外から室内へとシフトせざるを得ません。室内では、ビー玉を投げるのは御法度となります。ましてや、ビー玉どうしを当て合うなんて、もし割れでもしたら危険です。今のこどもたちのやっている、器具を使ってロボットに当てる方法に落ち着くのも、うなずけることです。街がどんなに変わろうとも、ころころ転がる球体は、いつの世もこどもたちを魅了します。昔のあそび方が廃ったのは、面白くなくなったのではなく、そんな風にあそべなくなったからです。あそべる街になれば、きっと影をひそめているかつての「ビー玉あそび」たちは、再び大手を振ってこどもたちの前に現れるでしょう。ビー玉を直接手に持ってあそぶこどもたちの姿を、いにしえこどもだった一人のおとなは、日々思い浮かべるのです。

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