あの町この村に、子どもらの遊ぶ笑顔を求めて ユニット折り紙
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ある「あそび場」?から
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 エントランスホールにて

 あるマンションを訪れた時のことです。エントランスホールに入ると、壁にもたれながら地べたに座り込んで4・5才の男の子が3人、携帯ゲーム機で遊んでいました。それも、3人がそれぞれ一つずつゲーム機を持ちながらだったのです。また、傍らにはキックボードとデイパックが置かれていました。ある意味では、今どきの見慣れた光景かも知れません。しかし、私達おとなには考えなければならないことが、そこにはあると思います。3人で「いっしょに」遊んでいてそうで、そうでなさそうな遊び方。お互いに、それぞれのゲームの状況を時折話し合うが、ほとんどの時間本当のあそび相手はゲーム機。子ども達がそうなった原因、おとな達がそうさせた原因をつきとめなければならないと思います。

 子どもはあそび場開拓者

 一方、そうした3人の遊んでいる様子だけに関心があったわけではありません。その遊んでいる場所に、気がひかれたのです。そういえば、昔よく路地の突き当たりなどで、土の上に直に座り込んで遊んだものだなと。その点では、今も昔も全く変わってはいません。子どもは、遊び場を見つけたり、創ったりする天才的な能力はすごいものです。部屋がだめなら廊下で、廊下がだめなら階段で・・・・・と、めざとくあそび場を開拓するのです。こう言うとちょっと首をかしげる方もおられると思います。もちろん、そんなところでしか遊べなくなったのかとも思ったりもしますし、その思いがあたっているかも知れません。しかし、悲観することより子ども達のたくましさに希望を持つことの方が大事だと思います。

 おとなの出番

 子ども達のそのたくましさは、はじめにふれたあそびの様変わりさえきっと変えてくれるでしょう。ただし、子どもの時期の遊び時間が絶えず減る方向にある時代の推移のなかで、あそび場を見つけるたくましさはあっても、あそべる時間を見つけるほどのたくましさがあり続けられるかは、はなはだ疑問な昨今です。だからこそ、おとなの出番がそこにあるのだと、あらためて思い返したエントランスホールでの小さな遭遇でした。

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