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CUT 「遊び学」風私論
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第二章 「遊び」の動物学風考察 目次へ 前の章へ 次の章へ

「遊び」は人間固有のものか

 「遊び」を前述のように「労働」「学習」「休息」活動以外の活動としてみると、ヒト固有のものではなく多くの哺乳動物では、わりと多くみられる活動ではないかと思われる。ゴリラやチンパンジーなどの類人猿では、「遊び」の存在は多くの専門家が認めることとなっているようである。テレビや映画などで哺乳動物の野生での姿を見ていても、これは遊んでるとしか思われない行動をよくみかける。ライオンなども、時々こどものライオンどうしがよくじゃれ合って、争っているかのような光景をよく見かける。これは、おとなになるための学習をしているとも言われているが、人間の勉強のように義務的にやってるようには見えず、どう見ても楽しんでるとしか見えない場合が多いものである。やはり、単なる学習ではなく、「遊び」と考えていいと思う。ライオンもじゃれ合いたいからじゃれ合っているので、そのことがおとなになるための学習だからじゃれ合ってはいないと思う。


 ただ人間と違い動物の場合、この「学習」と「遊び」区別はかなり曖昧なものだと考えられる。特に、こどもの頃には、「学習」と「遊び」は一体感が強い。動物とは反対に、「学習」と「遊び」の役割の分離が明確になるのが、人間の特徴だといえる。とは言っても、人間もこどもの頃は単純にそうはならない場合が多い、しかもこれがこどもの「遊び」の一つの特徴ともなっている。


 このように、「遊び」は、哺乳動物の多くに見られると考えても良さそうである。「遊び」は人間固有のものではなく哺乳動物など、おとなになるのに獲得しなければならないことが多く、それにかかる時間も長くかかる、そんな動物に特有なものとして捉えていいと思う。もちろんのこと、人間でも動物でも「遊べる」時間、「労働」から解放された時間がなければ「遊べ」ないのは言うまでもない。当然、「労働」することから大幅に解放されたこどもらにとっては、その「遊ぶ」ことができる時間がおとなよりも多いのも自明のことである。言い換えれば、こどもにとって「遊び」が生活の大きな部分を占める時間的余裕があるということである。その点で、こどもがせっかく与えられたその時間的余裕を活用せず「遊ば」ないということは、極めてもったいないことだといえる。こどもは、「遊べる」ようにわざわざ条件整備されているのである。それを、無駄にしないことは当然のことで、こどもは遊んで当然なのである。



動物はなぜ「遊ぶ」のか

 では、動物は何故「遊ぶ」のであろうか。最初に言えるのが、当たり前のことではあるが、「遊び」たいから「遊ぶ」のだ。食事を摂ったり、餌を食べたりするのに負けないくらいに、「遊び」によってもたらされる満足感が大きいからである。動物でも「遊び」は動機フリーである、「遊び」そのものに魅力が無かったら遊ばないものだ。


 つぎに、これらの動物の「遊び」をみてみると、その多くは単に遊んでいるのではなく、動物として生き抜く技術や方法を、楽しく面白い「遊び」の結果によって学習しているのが特徴だと言える。こどもの頃ではそれが顕著で、その意味で「遊び」は、大きな意義をもっているといえる。「遊び」によってもたらされる面白いという快感が、ある意味では根気のいる学習を続けさせている。


 しかも、「遊び」は、実生活の模擬訓練的な内容をその中に秘めている場合が多く、実践的「学習」として極めて優れた特徴をもっている。「学習」のある部分を、「遊び」という活動の結果として代行し実現させているということである。こどもの頃で考えると、おとなとしてのいろんな力を、「遊び」という方法でも培っているともいえる。「学習」だけより、「学習」と「遊び」を通して学習できれば、極めて優位におとなとしての力を獲得できるのは明らかである。動物は、「遊び」によって効率よく学習できるから遊ぶのである。このおとなとしての力は動物の種類によって違い、このおとなとしての力が複雑で多岐であればあるほど、「遊び」も複雑多岐なものになることが予想される。だから動物によって、「遊び」の姿に違いがみられるのも、当然のことである。



イヌとネコの「遊び」の違い

 動物による「遊び」の違いを、ひとつの例でみてみる。人間によって飼い馴らされた動物としての双璧は、イヌとネコである。これらの動物の「遊び」、なかでも人間との「遊び」を比較してみると、面白いことに気づく。イヌは人間に遊んでもらうと尻尾を振って喜んでくれることがしばしば見られる。一方、ネコは人間に遊んでもらってもあまり嬉しそうに見えないことがよくある。


CUT-犬1  これは、イヌはそうではないのに、ネコはご褒美として餌をあげないと、なかなか芸を覚えてくれないし、芸を披露してくれないこととも関係がありそうである。おそらくイヌは比較的に集団で行動し、しかもその集団のなかで個体間に割と主従の差がはっきりとしているのであろう。他方、ネコは家族単位での行動を除き比較的に単独で行動し、個体間に主従の差があまり見られないと思われる。この違いが、「遊び」の違いをもたらすのではないだろうか。イヌの方が他者とコミュニケーションをはかることに貪欲であり、「遊び」も個体間の関わりを多く含むものが好まれるのではないだろうか。専門家諸氏のご批判をお願いする。

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