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CUT 「遊び学」風私論
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第三章 「遊び」の分類学風考察 目次へ 前の章へ 次の章へ

「遊び」に分類される活動・行為

 これまでに述べてきた内容に沿って整理をしてみると、次のように分類できる。


    動物の「遊び」
    人間の「遊び」
     「あそび」(いわゆるこどものあそび)
     趣味・レジャー・スポーツ・芸術など



動物から人間への「遊びの」発展

 「遊び」の分類ではまず、動物の「遊び」と人間の「遊び」に大きく分けることができる。動物風考察の章ですでに述べたとおり、こどもの頃の動物の「遊び」には「学習」との区別は明確ではない。一方、人間の「遊び」は「学習」との分離が進行する。その「学習」は、学校教育や学習塾さらに習い事などのように、義務的になるなかで、「労働」(私の定義による)の領域に大きく近づいていく。また、人間の「遊び」は動物の「遊び」を爆発的に多様に発展させたものといえる。そして、その発展は、「学習」との分離により、「遊び」をより「遊び」として、娯楽・趣味・芸術などのような「遊び」へ部分的に特殊化する、質的な変化を伴った発展である。さらに、人間は、新たに「遊び」を創り出すという点では、動物の域をはるかにしのぎ、より創造的でもある。


 ところで、動物の「遊び」は、「学習」との分離が明確ではないが、動物の種類によっては、CUT-樹2その分離がまったくないわけではない。人と飼い犬が一緒に「遊ん」でいるところを見れば、動物にも学習とはどう見ても違う「遊び」があることも事実だと思われる。飼い犬は人と「遊んだ」結果学習するかも知れないが、学習するために「遊んで」いるわけではない。遊びたいから遊んでいるのだ。そのことは、飼い犬は野生のイヌと違い、獲物を見つけ狩りをしなければならない「労働」から、大幅に解放されたことから当然のこととしても、他の野生動物も純粋に「遊ん」でいる時もあるであろう。



「あそび」と娯楽・趣味・芸術との差は?

 いわゆるこどものあそびを意味する「あそび」と区別して、娯楽・趣味・芸術などの「遊び」を「第二の遊び」と、ここで定義をする。人間の「遊び」は「学習」との分離はあるものの、こどもの「あそび」には、「学習」的要素が比較的に多く残されているといえる。おとなとして必要な力、とりわけ社会的な生活をおくるうえで必要となる力を学習し獲得していく上で、「あそび」は実践的学習として大きな意義をもっている。しかし、それはあくまでも心をなごませる「あそび」の結果としてもたらされるのであって、「あそび」自体は学習を目的にはしていないのである。また、その実践的学習は「あそび」以外の活動でも当然のごとくなされてはいるが、楽しみながら学習できる点では、「あそび」の比ではない。


 他方、繰り返しとなるが、「第二の遊び」は、「遊び」のもっている心をなごませるといった性質をより明確化した、「学習」との分離が大きい「遊び」といえる。「第二の遊び」は、「学習」的要素の極めて少ない、というよりできるだけ「学習」的要素が排除された「遊び」なのである。それ故、「第二の遊び」は、主におとなを対象とした「遊び」となるのである。もちろんのこと、こどもも「第二の遊び」をする。しかし、最近はその割合が増えてきたとはいえ、「あそび」と主役の位置を代われるほどではない。


 ここで述べた、「学習」的要素を排除されたという意味は、決して「第二の遊び」から何も「学習」できないという意味ではなく。狭義の「学習」の目的である、生活を営むためのいろんな技術や能力を獲得したり高めたりする事にとって、必ずしも必要としないということである。

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