第四章 「遊び」の進化論風考察
「学習」には子育てが必須
前の章では動物の「遊び」から人間の「遊び」への発展を述べたが、それをもう一歩進めて考えてみる。ここで、いったん「遊び」からはずれて、動物がおとなとしての力を得るための「学習」に視点を移し、考えていく。哺乳動物のように、生まれた時からかなりの期間、おとなとしての力を持ち合わせていない動物は、「学習」することでその力を獲得しなければならない。当然、「学習」のための時間が、こどもには保証されていなければならない。そこで、哺乳動物の親たちは子育てにより、こどもを「労働」から解放することによって、その時間を確保している。
そのことは、「学習」には子育てが必要条件となることを示唆している。このことは、卵からかえったばかりでは、自分で餌もとれず空も飛べない鳥類などにも、いえそうである。反対に、例えば魚類や爬虫類のように生まれたときから、比較的におとなとしての力、少なくとも自立できる最低限の力をすでに持っている動物にとっては、「学習」はあまり必要とはされない。魚たちは、生まれてすぐに独力で餌をとりそして敵から身を護り、おとなになっていく。こどもの時から自立しているから、魚たちの親は当然子育てに無頓着でもよいのである。というより死んでしまって子育てができないものが大多数だ、という悲しい現実が本当のところかも知れない。動物が「学習」できるには、それに可能にする能力が脳に備わっていなければならないと思う。
「学習」としての「遊び」の成立
鳥類や哺乳動物には、こどもの頃の「学習」が重要な意味を持つが、動物学風考察の章で述べたように、少なくとも哺乳動物ではこの「学習」とこどもの頃の「遊び」には、密接な関係がある。こどもの頃の「学習」のそれなりの部分を、新たに創り出した「遊び」という心をなごませる活動で代行させて補っているのである。親の行動を見たり、時には親に教えてもらったりする「学習」だけでなく、楽しく「遊ぶ」という方法でおとなになる長い道のりを歩むのである。
この「学習」と「遊び」による学習の、併用の優位性は、前に述べた通りである。同じ学習するなら、気持ちよく楽しく学習できるに越したことはない。また、その「遊び」の時間が、親たちの、時には自分の身をも犠牲にする献身的な子育てにより、安心で快適な時間として約束してもらえるならなおさらである。「遊び」という活動の成立は、動物の進化のうえで、特筆すべきエポックともいえる出来事だといえるのではないか。動物の単なる「遊び」、これにはおとなになってからの「遊び」も含まれるが、どの種類の動物に見られるかは、今後の宿題としておく。
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